冬のNYでオフィスに出勤する途中でここはオフィス街なのに
時々道の端でホームレスらしき人間が寝ている事がある。
顔まで上着を被って寝ているのだが夕方見ても姿勢が
全く変わっていない事がある。
凍死しているのだ。
冷える夜はマイナス15度位になるので野宿すると東京と違って
凍死する確率は跳ね上がる。
また日本みたいに朝シャンしたりして出かけたら大変な事になる。
髪が白髪老人みたいに真っ白になるのだ。
口の周りも白い髭を生やしたみたいになってまるで
たまて箱をあけた浦島太郎のようだ。
面白がって鏡に映してみると俺もいずれこんな風になるのかなって
思ってみるが白い髪もけっこうかっこいいかもなんて思ってしまった。
街全体が白く見えるのだ。街の道路や壁に細かい霜が降りているのだ。
手でステンレスを直に触ると皮膚がいきなりくっついて接着してしまう。
無理に剥がそうとすると皮が剥がれてしまう。
これはスキー場でも同じ。
コート襟まわりはフェイクファーらしきふわふわしたものがついた
コートになる。とても東京では大袈裟すぎて着られない。
バスに乗っても窓が凍りつき外の景色は一切見えない。
取引先の年配の血圧の高いある部長はオフォス街を歩くにしても
あまりの寒さのために時々道程のビルの一階に入り暫く身体を
暖めまた外に出て歩くと言う。
ダスティ・ホフマンとジョン・ボイドの映画「真夜中のカーボーイ」
でも部屋の中の置いてあったコーヒーがカチンカチンに
凍っていてスプーンで叩いているシーンがあったがまさにそれだ。
こんな寒さの中でも俺はバイクに乗るマンハッタンでただ一人の
男だった。顔は走っていても針の束で刺されるようだった。
ある真冬に北のコネティカット州(コネティカットと発音しても絶対
通じない、カナティカッに近いかな)
に向かって車を走らせ出張にでかけた。
さらに雪に変わってしまった。そしてキャブレターのオーバーフローで
プラグが濡れてしまった。
このプラグを濡れた凍えた素手で8本取り替える。
もう手の感覚は完全になくなってしまった。
作業を終え手に息をいくら吹きかけても一切温かさを感じられなかった。
凍傷寸前だった。
するとかなり森の向こうの方に灯りが見える。ダイナー(小さな食堂)の
灯りだ。やっとの思いでたどり着いたその店は客は俺だけだった。
動かない油で真っ黒になった俺の両手の様子をマスターは見てとり
まだ何もオーダーしていないのにひとつのものを作ってくれた。
それがチーズの幕でマグカップが覆われたチーズ・オニオン・スープだった。手首で挟むようにしてそのマグカップのチーズを熱い(はずの)オニオンスープをすすっていった。
そしてこの世にこんな美味いものがあるのかと思った。
美味かった。
あの冬の田舎街の人情に触れた思い出は俺の「心」の宝のひとつなんだ