1954年 作品
自分だけの音楽をいつか作りたいと情熱を燃やす青年グレン・ミラーは
凄まじい下積み生活を強いられ、商売道具のトロンボーンさえ質屋に
入れたり出したりする生活を続けている。
やがてグレンはベン・ポラック楽団のオーディションに合格しツアーに参加。
立ち寄ったコロラドのデンバーでコロラド大学時代の友人へレンと再会する。
やがて二人は結婚し、ミラーは愛する妻のサポートを受けて自分のバンドを結成。独自の演奏スタイルを作り上げて続々とヒット・ソングを手掛けてゆくが、44年、軍隊慰問の最中に飛行機事故に遭い帰らぬ人となる。
40年代のバンド時代のアイコンの一人で、ジャズの歴史に新しいスタイルを確立して世界中のジャズ・ファンに愛されているトロンボーン奏者や楽団指揮者であり数々の名曲を世に送り出したグレン・ミラーの生涯の描いた伝記ミュージカル映画。
ユニヴァーサル社は、「真珠の首飾り」などのスィング・ジャズの創始者として知られるグレン・ミラーの伝記映画を企画。
ミラー役には、彼の容姿にソックリでマネー・メイキング・スターの一人として活躍していたジェームズ・スチュワートが起用される。
LAの質屋に並ぶトロンボーンのアップから映画は始まる。
この頃1930年代はLAにケーブルカーがあったのだ。
ジャズピアニストである親友チャーミーとベンポラック楽団のオーディションの
シーンは実に好きだ。
床掃除している引きの絵から昼間の港近くのクラブで審査は行われる。
チャーミーが見事なピアノを弾いている。
この時ほどジャズピアノがかっこいいと思った事はなかった。
次はグレンの番。グレンはベンに自分の作曲した譜面を持って来て採用してもらおうと
思ったのだ。しかしベンが今欲しいのはプレイヤーであって作曲家ではなかった。
楽譜は後でみおくとベンが言いグレンは脇へやられてしまった。
肩を落としながら外に出て港をトボトボと歩くグレン。
オーディションの次の順番はクラリネットのアーノルド・シュワルツだ。
ベンが言う。「キャン・ユー・プレイ・ファースト・アット・サイト?」
(初見で初めての楽譜見て即行演奏できるかい?)
アーノルドは即座に「トライ・ミー!」(やらせてください)
ベンがチャーミーに「なんか楽譜を渡してやれ」。
思いついたように微笑んだチャーミーはこれはチャンスと
グレンの置いて行った譜面を楽団の皆に配った。
演奏が始まった。シュワルツのこの時のクラリネットの演奏はまさに胸がすくようだった。
足で拍子を取り、首を振りながら演奏するクラリネットってこんなにかっこいいのかと思った。
あれ?ベンの表情に「この曲はすごいかもしれない」という表情が走る。
とぼとぼ港を落ち込んで歩いているグレンにクラブの中から聞こえてくる音楽は
なんと自分の書いて置いてきた譜面の曲じゃないかとあわてて覗こうとするが
演奏が急にストップしてしまう。
あーやっぱりだめなんだと再び失望の表情で歩き始めるとクラブから飛び出してきた
チャーミーが大声で呼びに走って来た。
「やったぞベンがお前を呼んで来いって言ってるぞ!お前の曲はすごいって言ってるぜ。」
二人は駆け足でベンのところへ戻って行った。
このシーンは何度見てもいい。
30年代のロスの風景も実にいい。
ふるさとのデンバーのコロラド大学時代の同級生ヘレンを数年ぶりに訪ねる。
公演を終え深夜にエレンをたたき起こして外に引っ張り出し真珠の首飾りをプレゼントする。
喜ぶエレンにグレンは「ほんのニセモノだけどね」と照れる。
グレンの数々の曲はエレン夫人とのエピソードによる物が多い。
長い下積み生活の中、エレンは節約し貯金をして楽団創設のための資金の通帳を
グレンに渡す。
開催が迫る前日でも納得できる演奏ができない。おまけにトランペット奏者が唇を
切ってしまった。絶望と思われた瞬間、トランペットの演奏部分をクラリネットで
リードする事を思いついた。
「エレンに今夜は徹夜になるからと伝えてくれ」とグレンは部屋にこもる。
ここでグレンの頭の中で奏でるピアノと部分的に合わせるために実際にたまーに引いて
みるピアノが重なって鳴る。
これがよく聞いてみるとなんとムーンライトセレナーデなのだ。
そしてやがて場面は切り替わり楽団の演奏が周りを囲みクラリネットがリードする演奏で
クラブが盛り上がる。
フィナーレが近づき観客が踊るのをやめて割れるような拍手をグレンたちに贈る。
グレンが顔を見上げ遠くを見るようにして自分の楽団の演奏を聞いて感動している。
表情が「やった。ついに俺だけのサウンドを見つけたんだ!」と言っているようだった。
駆け上がる成功への階段。グレンミラーの同期にはルイ・アームストロングや
ジーン・ラッセルやカウント・ベーシーやフランセス・ラングフォードがいるがグレンが売れたのは40近くなっていた頃で仲間と比べ遅咲きのデビューだ。
この同期の超有名プレイヤーが実際の役で登場している。
この辺は2004年9月21日のブログにも書いているので読んで欲しい。
「茶色の小瓶」は奥さんの誕生日にアレンジしてプレゼントした曲だ。
「ペンシルベニア65000」は電話でプロポーズした時の連絡先のホテルだ。
その時グレンがNYはチリーだからコートを持って来るようにって言うんだ。
chillyってcoldよりも寒い、凍えるって意味なんだよね。
やがてグレン・カジノ・アイランドというカジノをオープンし巨大なダンスホールで
演奏する。
演奏中テーブルで聞いているエレンのところまで来て真珠の首飾りをプレゼントする。
そして一言。「ほんの本物だけどね」
指揮に戻ったグレンは演奏を終え「題名を言うのを忘れました。ストリング・オブ・パール
(真珠の首飾り)です。」
と言いエレンを見る。驚きそして感動するエレン。
この日が来るのをどんなに待ち望んだだろうか。
そして運命の歯車は意外な方向へ進んで行ってしまうのだ。
グレン・ミラー物語The Glenn Miller Story
この映画の成功に気をよくしたユニバーサル映画は今作と同じ脚本家の
バレンタイン・デイビスを起用して「ベニー・グッドマン物語」を制作するが
「グレンミラー物語」ほどの評価と成功は得られなかった。
ベニーはほんとに長生きしたもんな。
グレンがエレンをニューヨークで出迎えるペンシルバニア駅はアール・デコ調の
素晴らしい建物だ。
俺はグランド・セントラル駅よりも美しいと思っている。
しかし多くの反対運動があったにも関わらず1968年に取り壊され
マディソン・スクエア・ガーデンが建設されてしまう。
実に実におしい。
ただ駅の目の前のグレンとエレンが過ごしたホテルは残っている。
HOTEL PENNSYLVANIA 電話番号は 212-73-65000
現在は電話番号は当時より長くなっているが
末尾は65000なんだ。感動したよ。嬉しいじゃないか。
グレン・ミラー、フォーエバー
上は本物のグレン・ミラーだよ。
マンハッタンの古びたレコード屋を発掘すると古い60年前のグランミラーの
レコードが見つかったりするんだ。それも格安だ。
店主が価値を分かってないんだ。
これらにはグレンがラジオに出演してしゃべりと演奏が交互に入ってる珍しいものも
ある。嬉しかったなあ。
ある日、マンハッタンでグレンミラーがバックプリントされた本皮のフライトジャケットを
着て歩いてる人に話し掛けどこで買ったか聞いた。
それはフライトジャケットのブランドの限定復刻バージョンだった。
1945 AAF (ARMY AIR FORCE) と書いてある。第二次大戦当時、
空軍 AIR FORCEは存在しなかったのだ。
俺の宝中の宝だよ。二度と手に入らないんだ。