俺の密かな楽しみのひとつにマンハッタンの夜景を観るためにヘリに乗る事がある。
主なヘリポートは東側34丁目、エンパイアステートビルを東に真っ直ぐ
行きイーストリバーにぶちあたったところのヘリポートがお気に入りだ。
その他に西側ハドソン川30丁目にもあるがあまり行かない。
かつてはパンナムビルの屋上と空港を結ぶヘリの定期便もあった。
80年代、日本では日本テレビで「アメリカ横断 ウルトラクイズ」という番組で
勝ち残ってきた二人の挑戦者が最後の決戦をここパンナムビル屋上で
行う時に登場するのがヘリだった。
パンナム・ビルの屋上でヘリの定期運航がはじまったのは1965年。
このビルの屋上にこのビルを管理しているクロス・アンド・ブラウン社の
人間に見せてもらった事がある。
かつてのヘリポートの大きさはほぼ50㎡くらい。横の階段を下ったところに
待合室が残っていた。周囲の柵には風洞試験を経た整流板がついていて、
高層ビル街を吹き上げてくる乱気流を防ぐ仕組みになっている。
映画「マンハッタン無宿」でもここは登場する。カウボーイハットをかぶった刑事の
クリント・イーストウッドがこのヘリコプター便で空からニューヨークへ到着し、
またエンディングで犯人を捕えてヘリコプターで西部へ帰って行くシーンがそれだ。
この定期便は実に便利で年間50万人を超えた。しかし遂に事故は起きた。
俺がバングラディシュに行っている年、パンナム・ビル屋上に既に到着した
ヘリコプターから乗客が降りていた。突然の風のためにヘリの機体が横倒しになった。
アイドリングで回していたブレードがビルに触れブレードの破片が周囲に飛び散った。
その破片が落下、歩行者1人を死亡させてしまったのだ。
パンナム・ビルはかつてパンアメリカン航空の本社があり、ヘリコプター定期便が発着していた。
屋上には一度に1機しか停まれないため、次の1機は上空で待機する。
私の乗ったときも、先着便があったため、スチュワーデスが
「これからニューヨークの遊覧飛行を特別サービスします」といって、
マンハッタン上空を一回りして着陸した。上右の写真は現在のパンナム・ビル。
映画「アビエイター」でもパンアメリカンは登場するがかつての世界一の
航空会社でありマンハッタン一の目抜き通りの中央にその力の象徴のように
存在していたこのビルもパンナム倒産後、メトライフ保険会社のビルとなった。
ここマンハッタンはバスの数並にヘリが飛び回っているとも言われる。
それに伴いヘリの墜落もとにかく多い。
よく落ちるのがテレビの取材ヘリ、それもしょっちゅうレポートしなくてはならない
マンハッタンへの朝夕の主要幹線道路の渋滞レポートなんだ。
レポーターも墜落は二度目だって言ってた名物レポーターがいて彼の
サインをもらうとご利益があると言われていた。
その彼も遂に三度目の墜落を経験し帰らぬ人となった。
また別の機会に書くがスピルバーグの映画「トワイライトゾーン」の
最初のシークエンスの撮影中に主演のビックモローが
子供二人を両脇に抱え戦場の沼地を走り抜けるところにすぐ横に
ヘリが墜落しその回転するブレードがあっという間に3人を
木っ端微塵にすっ飛ばしてしまう映像を見た事があった。
それはショッキングな映像だ。
ドナルドトランプの右腕とされる男が同じくヘリの墜落で命を落とした。
トランプの不幸の前兆とされる事件だった。
俺が独立前サラリーマンをしていた大手広告会社D通の撮影クルーと
ディレクターが新潟博のCM撮影の為にヘリで石油プラットホームの
撮影のために飛んだ。
このディレクターT氏は俺が入社後最初にトヨタカップのイベントでお世話になった
人だった。
臨時ニュースでヘリ墜落を知った俺はすぐに家族に連絡をとったのを覚えている。
墜落した場所が海上でややソフトランディングであったため奇跡的に死者は
なかった。ディレクターは背骨を骨折し全治6ケ月だった。
ヘリの機体は海底に沈んで行方不明だったが一年後に漁船の網にひっかかり
発見された。そこのカメラには墜落時の様子が写されている撮影フィルムが
あった。尾翼が飛び機体が凄まじい回転をはじめ水中に没するシーンだ。
そんなこんなでヘリの危なさは思い知ってるはずなのにそれでもヘリの便利さに
負けて空港まで乗ってしまったり今だに夜景を眺める俺はほんとにアホです。