大会の前日、ニューヨーク市長に大会を市をあげて
応援してもらうために訪問した。
911の事件ではジュリアーニ市長が有名だが当時は
エドワード・コッチ市長は大赤字の市の財政をあらゆる改革を
推し進め黒字に転換させたスゴ腕の市長であった。
治安を良くする為に様々な手を打ち、I LOVE NY ってスローガンを
世界中にはった男だ。
このスローガン誰でも一度は聞いた事があるだろう。
ハリウッド映画の撮影を誘致し観光大キャンペーンをはって
NYを蘇らせた男だった。大学時代からの憧れだった。
俺の「いつか逢いたい男リスト」にマリオ・クオモNY州知事と並んで載っていた。
今回の市長訪問の目的はテレビ取材とポスター用写真撮影だ。
駅伝競技のシンボルは「タスキ」だ。そのタスキには「NEW YORK EKIDEN 1887」と印刷してあった。「あれ」
タスキはすでにコッチ市長からだにかけられて大会委員長と握手している。
俺は凍りついた。
「1987」ではなく「1887年」とあるじゃないか。これは南北戦争のタスキじゃないんだぜ。
印刷ミスだ!しまった。大変な事をしでかしてしまった。
俺の頭は猛烈な速さで回転した。このまま何事もなかったように放っておくか。
しかしこの記者団のフラッシュの放列の中を自分が演台に進んでそれを言えるか。
言えない。俺の会社の信用は地に落ちる。できない。
いや、でもやっぱりこの俺の尊敬する市長を笑いものにはできない。
どうなってもいい。俺が一切の責任を被ろうと決めた。
「ミスターメイヤー アイヘイトセイ アイフィールレアリーアポロジイズ・・・」
素早く市長に近づきタスキを直すふりをして小声でタスキの間違いを告げた。
俺は市長の顔色が変わるのではと恐れた。なうての激情家のコッチである。
市長がすっと左の指をタスキの「1887」の「8」のところに親指を持っていき
なんとそのミスの部分を隠して何事も無かったように撮影を続行してくれたのだった。
俺は涙が出そうなくらい感動がこみ上げてきたがそんな暇はない。
日本の誰にも気が付かれなかった。
会見が終わって廊下に出た市長に改めて詫びた。市長は握り拳から親指をあげて
「サムアップ」を一瞬俺に見せてタスキを俺のポケットにねじ込んでくれた。
俺のミスをかばってくれたのだ。
俺は思った。こんなかっこいい男がいるのかと。
これは今の今まで誰にも話さなかった自分の人生最大の大失敗談。
なぜ俺は確認しなかったのだ。情けなくて情けなくて仕方なかった。
市長に大恥をかかせるところだった。
翌日の新聞とテレビをチェックした。セーフだった。あと少し遅ければ
俺も会社も大変な事になっていた。
エドワードコッチ市長、俺は彼を永遠に永遠に忘れないだろう。
ありがとうございました。