極真会館の大山倍達館長に憧れ多くの本を読んだ。
館長は戦後柔道の遠藤選手と渡米し全米と世界中を
試合して周った。他流試合700戦無敗を誇る世界的空手家だ。
しかしなぜか日本での知名度は海外に比べると低い。
今でこそKー1のフィリオなどで有名だが当時は
極真会館等一般人はだれも知らなかった。
バングラディシュへ行く半年前に西池袋の極真会館の特別集中コースへ入門した。
かつて松田優作も通っていた道場だ。
本部の一階には大山館長の牛と戦って勝った時の様子の絵が描かれていた。
入口を入ると受付と事務所がある。地下の更衣室で道着に着替え二階の
道場に入った。
太鼓の合図とともに横に一斉に整列する。あれ師範代が茶帯なのに気がついた。
あれ、どんな武道でも指導は有段者だろうって思ったが思いだした。
極真の茶帯は他流派の二段クラスに相当する実力があることを。」
一人一人を一瞥していた時、一人の新人の帯を見た。
ひとり自分の名前を書くのはいいのだが大学名まで書いてるやつがいた。
そしたら師範がいきなりその道場生の腹に手加減の無い正拳突きをしたのだ。
そいつは後ろに吹っ飛んでしまった。
型を教わったあとなんと正面蹴りを左右交互になんと千本蹴り。
疲れて足が上がらなくなる。
又割りといって足を開いてすわり後ろから押す。押すなんてものじゃない。
腕を後ろからつかまれて背中に乗られるのだ。
腹筋、寝た姿勢でまっすぐにした足をややあげる。この体制はつらい。
その腹の上を師範が歩いていく。上から踏ん付けていくのだ。
組み手、いきなり茶帯と組み手。極真は他流派と違い寸止め無しのフルコンタクト。
師範の手加減は一切ない。バシッ ビシッと鈍い音が聞こえる。
床に白いチップみたいなものが転がる。歯だった。
床にやがてボタボタの血の跡が残る。するとバケツと雑巾をもった係りがササッって
血を拭いていく。バケツに雑巾を絞ってまた拭くのだがバケツの水がなんと血で赤く染まっている。
組み手は3分で交代。太鼓で始まり太鼓で終わる。終わりの太鼓が鳴ったら神前に礼をするのだが完全にダウンしている道場生に意識はもう無い。
師範が近寄った。助け起こすのかと思ったらなんと道着の肩の部分を両手で掴んで
膝蹴りを腹部に三発食らわして道場中央に放り投げた。
一応極真に入ろうって奴は大体なんらかの腕の覚えのある奴や学校でケンカは強い連中が
来ている。実際みるからにワルそうな奴ばかり。
後で聞いて分かったのだがそういうワルには一度その自信を徹底的に壊してしまってそれから空手を教えるらしいんだ。
俺も容赦ない組み手の洗礼を受けた。はんぱじゃない強さだった。腹に蹴りを食らい回し蹴りを後頭部に食らった。幸い意識がなくなることはなかった。本来打たれ強い性分みたいだ。
俺の攻撃は軽くいなされかわされる。
腕に腰に足に腹に胸に頭に次々攻撃を受けているとやがて痛みがなくなってくる。
瞼が切れて血が目に入り見る物が真っ赤に見える。
さらに腫れ上がって垂れ下がる瞼が視界をさらに狭くしてくる。
自分の流した血で滑る。ついにとどめのキックを食らいまるでスローモーションの
様に前のめりにダウン。
そして倒れた俺の頭部にさらに蹴りを浴びせた。ここまでやられたのは生涯初めてだった。
記憶はそこまでなんだ。気絶はしていないけど軽い記憶障害を起こしていてどうやって
家に帰ったか覚えていないんだ。
凄まじい全身の痛みだった。鏡を見てスイカみたいに腫れ上がった顔を見た。
また翌日道場に通うのが怖かった。すくんだ。でも行った。またぶっ飛ばされた。
手のガードを絶対下げない事を覚えた。だから致命的ダメージは食らうことはだんだん
なくなった。残酷な師範は野獣の様に襲いかかってくる。
そして最後はダウン。
数日後背中の肋骨にひびが入ったようだった。咳やクシャミをすると悲鳴が上がるくらい
激痛が走る。でも休まなかった。でもその日はあっという間にダウン。手足を二人に持たれ
担ぎ出された。
また数日後殴られていても冷静に相手を見られるようになってきた。こちらの攻撃が少しずつ
師範にあたりはじめた。
しかし全然効いてない。ある日俺の膝蹴りが師範のわき腹にヒットした。一瞬かがんだがすぐに立ち直り猛烈なラッシュ攻撃。またあっという間にダウン。
そんな日々がバングラディシュに行くまで続いた。
大学生のくせに旅費を稼ぐために昼は酸素ボンベ背負ってサンシャインビルの地下現場。
夕方道場に行って、夜は地下鉄工事。睡眠は3時間。
あいも変わらずダウンばかりだが確実に自分が強く身体もがっしりとしてきたのを
実感した。
やがて腕立て伏せが親指一本でできるようになった。握力が120キロになった。
胸囲が120センチになった。
当時の茶帯だった師範は大石大悟師範といいやがて極真を代表する選手になっていく。
そんなで短い間でも極真で腕っ節にすこしばかり自信がついた俺は
そのおかげで後にバンコクとパリで救われる事になる。そんなたした事じゃないけどまた書く。
十年後ニューヨークにいる俺はマンハッタン中の空手とテコンドーの道場を見学して周った。
後に極真会館で伝説の芦原英幸師範、オープントーナメント全国大会優勝の二宮城光師範とNYで食事する事になるのだ。
しかし言いたい。今の極真も含めどこの空手道場も日本もアメリカもとにかく稽古が
楽!楽すぎ!多分今時の奴は厳しくやると一日でやめてしまうだろう。
今はフォットネスかカルチャースクールののりで親切丁寧に手取り足取り教えて
くれる。
ダイエットしたいから来てるなんてやつ多いもんね。
変わったよ実に。
しかし今のフィリオは弱いね。彼は世界大会優勝で極真の地獄の100人組み手を達成した
猛者だった。
しかしK-1のジェロムバンナにストレートを食らいリングのロープの間から身体をだらりと出しながら完全ダウン。
意識がようやく戻った彼はなんと泣いていた。
極真の唯一の欠点は正拳での相手の顔面への攻撃の禁止されていること。
ボクシングみたいに避ける技術が無い。顔への拳の攻撃が未経験。
それであのストレートでもろにダウン。
さすがの極真チャンピオンでもあの姿。
故大山館長はかつて外国人に世界大会の王座を取られたら切腹すると言っていたが
フィリオが優勝した後、その後の松井章圭館長が切腹した形跡は無い。