マンハッタンに来てまだ間もない頃、
電通ヤング・アンド・ルビカム社で打ち合わせがあった。
日本企業がスポンサードする国際スポーツ展示会の打ち合わせだった。
うちの会社の東京オフィスからの依頼のテンポラリーなアサイメントだった。
ここのオフィスは特徴的でとにかく奥行きが10mぐらいしかなく横に80mくらいの
うなぎの寝床みたいなのだ。
社員の80%が管理職でそれぞれが個室を持つ。長い廊下を突き当たると
会議室がある。
出席者は8人。うち5人は日本人で後はアメリカ人。
俺がこのような日米同席の会議では英語で議事が進行され手元に配布される資料は
全て英語。さらに意見の交換も英語だ。
会話をキャッチアップするのも一苦労で最初は内容の2割も理解できなかった。
手元の資料を読もうとすれば耳は留守になる。
まして質問されても稚拙な英語でしか返せない。
出席者の日本人からは鼻で笑われていた。
何よりも恥ずかしかったのはいつも日本語で話している日本人相手に英語で話さないと
いけない事だった。
出席者のアメリカ人に分からない日本語で会議で話すのはご法度なのだ。
しかしこれがなかなか辛い。さらに相手が達者な英語を見せ付けるがごとく
「どうだ、分かるかこれが」と言わんばかりのバリバリの巻き舌のスラングで
話して俺が理解に苦しむと「こんなのも理解できないのか」と言うような表情を
する。こういう事をするのは女性が多いんだ。
マンハッタンに住む日本人女性は日本に住む日本人女性とは別の生き物かと
思ってしまった。
月日が流れ英語力は相変わらずでも度胸と肝は据わってしまい、相手がどんな
大人数であろうと日本人であろうとアメリカ人であろうと何百人の聴衆の前で
話す事は苦にならなくなった。
いや、むしろ好きになった。
でも今でも感じるのマンハッタンの日本人女性は野性味が強い。
ビンビンに伝わってくるのは自分を「デキル女性」に見せたい事。
「なめるなよ」「ほら尊敬しろ」と言わんばかり。
仲間と手を合わせて仕事をする事よりも戦う事の方が得意のようなのだ。
十数年の付き合いのある仲間とある日突然仲違いして凄まじいコンフリクト(闘争)を
繰り広げる。
彼女らを見ていると共同事業がいかに難しいか思い知らされる。
儲かっては利益配分で、失敗したら責任のなすり合いでかならずもめるのだ。
あれだけ姉妹みたいに中が良かったのに。
不信のシナジー効果はとりとめもない事を思い知らされる。
相手が私を疑っているとこちらは思ったとする。その疑念は隠していても
どこか表面に出てしまう。
すると相手はそれを察知してこちらに同じくガードをややあげる。
するとこちらはますます疑う。
この負のスパイラルにはまりあっという間に人間関係の崩壊への
導火線に火がつくのだ。
マンハッタンはプライベートでもビジネスでも出会いと離別の回数は
東京の何十倍も多いだろう。
ひとつ言える事。
優しい女性日本人と日本料理が恋しかった。