ある日、運輸省の米国の格安国際電話の進出を正式に認める事にして
その新たな基準のガイダンスを行うので運輸省に来るように要請があった。
多くの同業者がそれには集まったがそこに見覚えのある顔を見つけて凍りついた。
AT&Tのセールス担当のアメリカ人のエンジニアのマイク・トレーシーがそこにいたのだ。
AT&T(アメリカ・テレフォン・アンド・テレグラム)はこの地球で一番巨大な会社と
言われていた。GE(ゼネラルエレクトリック)よりもGM(ゼネラルモータース)よりもはるかにでかい会社なのだ。
かつて元GM役員のデロリアンが書いた本のタイトルで
「晴れた日はGMが見える」というのがあり俺はこの壮大なタイトルが大好きだったが
そのGMよりもはるかにでかいのだ。
AT&Tの歴史はアメリカの電話の歴史だ。
AT&Tの起源は1875年の創設者アレクサンダー・グラハム・ベルの電話の発明だ。
19世紀AT&TはBell Systemの親会社になり、アメリカ電話産業を独占した。
後に1984年独占禁止法に触れ米国司法省の命により、AT&Tは8つの会社へと分割された。それでももちろんアメリカ一の電話会社の力は健在で、ニューヨークにある
AT&Tベル研究所は最先端の通信技術を持っている。特に衛星を使用した
国際電話の先駆けである。
そしてかれらは日本のKDDとNTTと蜜月にありお互いに日米のマーケットは
侵食しないと決められていたはずなのだ。
しかしこの会合にAT&Tが来ているとすればその不可侵条約は破棄され
彼らが日本へ進出する意思があると考えられるのだ。
俺は休み時間に話かけてみた。相手は俺に気づいて一瞬たじろいだが
大袈裟な笑顔に戻った。
俺は「マイク一体ぜんたいどうしたんだい。ここで何やってるんだよ。もしかして日本のマーケットに興味が湧いたのか?」
「とんでもない、うちは日本になど全く興味はないね。まだまだアメリカでやる事はたくさん
あるんだ。それよりもおたくはなぜうちの回線を使ってくれないんだよ」
俺は言った「AT&Tは一番でかいトップクラスの会社なのは分かってるけど値段も
トップクラスだからな。うちは貧しいから手がでないんだよ」
御互い笑うが目は笑っていない。
さらにおれは鎌をかけた。「でもAT&Tが今度できるお台場の電話センターのビルの
フロアーを押さえたのを聞いたぜ、やっぱり日本に興味あるだろう」
これは完全なるおれのあてずうっぽうだった。
でもマイクの顔色が変わったのを見逃さなかった。
「ほらな、本当の事いえよ」とたたみかけるが笑ってとぼけるばかりだった。
ついにNTTやKDDの独占していた電話市場は崩れる前兆が始まっていたのだ。
AT&Tのアメリカにおけるシェアの低下は止められなかった。新手の新興電話会社、
スプリントやワールドコムに追い上げられついに最近の新規獲得のDMでは
封筒に$100の小切手が入っている。
もし他社からAT&Tに乗り換えてくれた場合はそれをプレゼントするよという
作戦なのだ。これにはほんとに驚いた。
見得も外聞もない。死に物狂いの顧客争奪戦を繰り広げていた。
俺は感じていた。巨額の設備投資がたたりそれらを回収するにはもう
この過当競争のアメリカでは限界がある。
日本や中国へ進出するしか残された道はないだろうと。
それにはNTTやKDDへの義理など関係ないと判断したのだろう。
そしてお台場の新しいビルに拠点を構えるとは。
AT&Tはアメリカで苦戦していても値段の高い日本では勝負できる。
彼らは当然、法人需要をターゲットにしてくるから俺とは直接
バッティングはしないが遅かれ早かれ戦いの日は近いうちにくると思った。
俺はこの日に備えいくつもの対策と作戦を練り始めた。
AT&Tとの戦い。相手に不足はなかった。
しかし俺とAT&Tとは実はちょっと意外な展開がこのあと待っていたのだ・・・・・
ニューヨークのAT&T本社