Living for Nothing
or
Die for Something
これはネイティブたちがアメリカ国内の田舎の
発音を端正するための早口言葉の発音訓練文章だ。
ネイティブにはかなり発音が難しい。
Around the rocks the rugged
No, rocks, rocks.
(岩の周りをいやな奴が回った。)
Sinful Caeser Sipped his Snifter
Seized his knees and sneezed.
(シーザーが海すすり 膝をさすって
くしゃみした)
Chester chooses chestnuts, cheddar
cheese with chewy chives.
He chews themand he chooses them.
He chooses them and he chews them.
those chestnus chedder chieese and
chives in cheery charming chunks.
(チェスターのチェダーチーズとチューインガム
クチュクチュかみ注文、注文してクチュクチュ
チューイングガム、チェリー色のチェダーの山)
Moses supposes his toese are roses.
But Moses supposes erroneously.
Moses, he knowses his toeses are't
roses as Moses supposes his toeses to be.
(モーゼは感ず、つま先とバラは同じならず)
# by haruotokashiki | 2008-11-16 11:08 |
本場のナマ英語
サーフィンに来ていた南房総の海から上がり友人の別荘の庭で頭を拭いていて携帯が鳴った。
着信番号通知不能と表示されている。アメリカから電話だった。
頭を拭いている手がとまった。
ロッキー青木さんが亡くなったとの知らせだった。
突然の知らせに心が嗚咽の悲鳴をあげた。
その場にしゃがみこんで地面の土を握り締める。
人の死がこうも俺の心を空虚ならしめるのを
はじめてあじわう。
いまだに思い出すのはロッキーさんの笑顔ばかり。
ニューヨークベニハナでドラマティックに初めて遭遇したあの夜。
何度も何度もベニハナのバーに通い詰めて閉店まで話し込んだ温かい笑顔。
プラザホテルでの白血病のイヤー・オブ・ザ・マンに選ばれたパーティー。
ライトを浴びながら椅子に座っている俺を指差して笑ってくれた笑顔。
セントラルパークで屋外オペラに呼んでもらい遅れた俺のためにロッキーさんの
となりの席を取っておいてくれた。
俺が現れると英文台本を渡してくれて「今ここだよ」って指差してくれた。
クライマックスでは舞台を目に涙をためながら微笑んでいたあの横顔。
東京のホテルオークラのロビーで待ち合わせしたした時、遠くから
俺を指差して手をふってくれた時の笑顔。
一緒にレストランのカメリアに入る時に入り口のロッキーさんが
「二人ね」と言う。
支配人がロッキーさんのアフロぎみのヘアーと
ジンギスカンひげに怪訝そうな顔をしていた。
「できれば遠慮いただきたいのですが」と喉まででかかっているのが
俺にも伝わって来るのだ。
この支配人は目の前のこの男がアメリカのレストラン王だと知ったら
腰を抜かすかななどと想像して楽しんでいた。
支配人の失礼ぎみな態度にも全く気にせずにロッキーさんは
地図を広げて大好きな大陸横断レースの話を溶けてしまそうな笑顔で夢中に話す。
実業界で大成功を収め、アメリカで最も有名な日本人と言われ、ギネスブックに
載る世界的冒険家が目の前の少年のような男なのだった。
今だから話すがロッキーさんの話だと1979年のモーターボートレースの大事故の折、
大量に受けた輸血で肝炎に感染していた。
また事故の後遺症で夜中に突然のたうち回るほどの痛みが走るので
毎日痛み止めの薬を飲んでいた。
今回の癌はその肝炎によるものだろう。
小野恵子さんと言う最高の伴侶を得たのもつかの間、
ロッキーさんは旅立ってしまった。
最後に逢ったのが数年前の2月だった。
その時の写真がこれだ。
人生やればこうも劇的に生きる事ができるのだというのを
身をもって見せてくれた男だった。
ロッキーさん、あなたを連れ戻せるものなら連れ戻したい。
引き戻せるものなら引き戻したい。
人生の素晴らしさ、豪快さを、そして儚さを教えてくれた男。
遂に人生の極上の杯から口をはなしたのですね。
さらばです。
ロッキー青木さん!
アメリカから信じられないニュースが飛び込んで来た!
日本では全く報道されていないが
あの映画「タイタニック」の続編、「タイタニック2」が今年の夏
全米で公開される。
まずは予告を見てくれ。
タイタニック2予告実は6年前に企画自体は小耳にはさんだ事はあったがその時は
本気にもしなかった。
それがまさか実現するとは。
死んだと思っていたのに続編で生き返るのは「13日の金曜日」の
ジェイソンのお家芸だったのだが。
俺は思う。映画とはいかにうまく騙してくれるかが勝負なのだ。
荒唐無稽のこのストーリーをリアリティーたっぷりに描ききる
ハリウッドの凄さに驚く。
「タイタニック」は観ていない人間を探すのが苦労するほど大ヒットした。
ディカプリオ演じるジャックはローズをひとり木の板に乗せ
自分は犠牲になって凍死する。
そしてその亡骸は海深く暗い海に沈んで行きやがて見えなくなる。
誰もがこれが二人の永遠の別れと思い悲しみと憐憫の極みを
教えてくれた。
そのジャックが深海で凍り漬けで発見される。そのジャックが現代の最先端
科学の手で蘇るのだ。そしてローズを探す。途中皮肉にもタイタニックを題材にした
ミュージカルなどを観ながら現代と過去の狭間で葛藤する。
これ俺は観たくてたまらない。俺をうまく騙してくれ。
さあ、果たして観客は二度泣いてくれるのか。
fk
東京の丸の内も趣のある古いビルが次々と取り壊され立て直されている。
ゼネコンと銀行に目をつけられたら餌食になってしまう。
丸ビルだって国鉄ビルだって関東大震災でもビクともしなかったのに
あの雄姿を今は痕跡さえ見ることができない。
マンハッタンもこのペシルバニア・ステーションを大きな保存運動が
あったのにも関わらず取り壊してしまった。
後に建ったのは無機質なあのマディソン・スクエア・ガーデンだ。
苦しい事もあるだろう。
云いたい事もあるだろう。
不満な事もあるだろう。
腹の立つ事もあるだろう。
泣きたい時もあるだろう。
これらをじっとこらえてゆくのが人の修行である.
山本五十六
3人があるホテルへ
泊まろうとした。支配人は1人10ドルで
3人で合計30ドルと告げた。
そして3人は合わせて30ドル払った。
ところが支配人はしばらくたって宿泊費は3人の場合は
割引になって25ドルになるのに気づき
ボーイを呼び客たちに5ドル返してくるように
言った。
ボーイは5ドルだと3人で割り切れないので
2ドルくすねて1人に1ドルづつ返した。
ところがボーイが2ドルポケットに入れるところを
見ていたメイドがいてボーイは口止め料として
メイドに1ドルを自分がくすねた2ドルの中から
渡した。
さてここまでの話を整理してみるぜ。
3人は1ドル返してもらったから
一人9ドルで泊まった事になる。
3人で27ドルだよな。
じゃ、逆に験算してみるぜ。
9ドル×3人=27ドルだよね。
この27ドルにボーイがくすねた1ドルと
メイドに渡した1ドル計2ドルを
加えたら27ドル+2ドル=29ドルだ。
あれ?1ドルは見事に消えている。
さて、この1ドルは一体誰が取ったのか?
誰が怪しい?

冬の地下鉄のプラットフォームでもつららが下がる。どうだいこの寒さ、耐えられるかい。
でも今見ると涼しいだろ。
「欧州車はデザインも良くて高性能、値段ははるけど
やっぱり欧州車は最高」
「アメ車はムダに大きくガソリンを食らいインテリアもデザインもやぼ、
性能も技術もちょっと遅れてる」
そんな日本人の常識にちょっと水をぶっかけてみたい。
◎AT いわゆるオートマティック・トランスミッション
◎セルモーター
◎パワーウインドウ
◎パワーステアリング
◎オートクルーズコントロール
◎エアバッグ
◎ターボ
◎前輪駆動FF
◎空力ボディ
◎電動ハードトップ
◎カーオーディオ
これら全てアメリカで最初に始まったもので世界に拡がったものなんだぜ。
知らなかっただろ。
トヨタやメルセデスにおされてはいるが技術的には世界を常にリードしているのを
忘れるなよ。
月に人間を送り込み、ジャンボを世界中に飛ばし、コンピューターで地球を
席巻した国なんだぜ。
数々の欧州車を乗って来た俺が最後に行き着くのはアメ車だ。
何故か?
偉大なるムダがあるからだ。いいかい?楽しむ「ファン」は機能を追い求めると
無くなっていく要素なんだ。
「ファン」はムダとアソビの中から生まれるんだ。
機能美の結晶の頂点がベンツのEシリーズと言える。
しかしベンツのEシリーズに一生乗り続ける事が幸せなのだろうか。
そつなく優等生。
しかしハートを突き刺さないのだ。
バイパー、ハマー、コブラ、コルベット、ダッジラムトラック、
デューセンバーグ、これらの日常の取り回しは最悪だ。
でもこの車たちの魅力は魂をも溶かしてくれる。
人間も同じではないだろうか。
俺は小さな「優等生」よりも
途方も無い限りない水平線のような「バカ」になりたいぜ。

セントラルパーク側の部屋からの景色
ビリーズ・ブート・キャンプが空前のヒット商品となっている。
日本の通販番組でアメリカで一大ブームを起こしているとの事。
しかしニューヨークやLAのアメリカ人に聞いてもビリーズブートキャンプの
事を知ってる者は皆無だった。あっれーおかしいぜ。
紹介文では米軍で新兵を短期間で身体を絞り込むためのトレーニングが
ビリーズ・ブート・キャンプだとの触れ込みだ。
だがこのDVDのトレーニングは普段運動してない連中がいきなりやり遂げるには
少々きつく感じるはずだ。
「さすが、軍隊トレーニングだ、きついはずだ」
ちょっと待ってくれ。
本物はこんなにヤワじゃないんだぜ。
以前軍隊のマンハッタンのリクルーティングのオフィスに仕事で行って採用担当官に
話を聞いた事があった。
従兄弟の祐介も海兵隊の厚木基地で働いていた事が
あったので軍隊のトレーニングの厳しさはイヤと言うほど聞いたもんだ。
入隊時はパンツ一丁で出頭するように言われる。一切の私物携行は禁止だ。
彼女からのプレゼントや親の形見であっても全て取り上げられ捨てられる。
答える返事のほとんどは「イエス・サー」「ネガティブ・サー」だけ。
名前でも呼んでもらえない。
屈辱のどん底で娑婆との関係を一切ぶち切られてしまうのだ。
米陸軍や海兵隊の基本は
腕立て82回
腹筋92回
3マイル(4.8キロ)ランニングがなんと18分以内
懸垂20回
腹筋 100回を2分以内を達成してさらに高度な規定を
クリアしてでないとスナイパー(狙撃手)やリーコン(偵察部隊)に
進めない。
しかし海軍特殊部隊のSEALの入隊審査はさらに厳しい。
500ヤード(457m)を8分以内
4マイル(6.4キロ)を30分以内
腕立て100回を2分以内
腹筋100回を2分以内
遠泳2マイル(3.2キロ)を70分以内
水でわざと溺れさせられた直後に
クラシック音楽の中で論文を書かせたりする。
これで70%が脱落する。
さらにレベルの上の部隊ともなると体力だけでなく頭脳と鋼の精神力も
要求される。
陸軍特殊部隊のグリーンベレーはメディック(医療)訓練がある。
通常の応急処置はもちろん、火傷の手当ての皮膚移植、抜歯、
盲腸等の開腹手術、手足の切断など病院の全ての病棟を
一年かけて医療技術を習得する。
無線、暗号はもちろん潜入地域の言葉までほぼマスターして行く。
さらにグリーンベレーの上を行く部隊が
米国陸軍最高の特殊部隊のデルタフォースだ。対テロリスト部隊でも有名だ。
食料一食分だけでぶっとおし徹夜の36時間野外行動の模擬戦の最中に
数学の問題を解かせたり48時間の行軍の直後に難解な文学作品を渡され
3時間以内にレポートを提出させたりする。
世界最高の特殊部隊と言われるのがイギリスのSASだ。
ここの訓練は世界中の拳銃や機関銃を暗闇の中で分解し、
そしてまた組み立てる等の訓練を積む。
メンタル面の訓練では列車が迫る線路の脇に手錠で繋がれたまま
鼻先を列車が通過するのを耐える訓練等がある。
イスラエルのゲリラ戦特殊部隊のパラスやエゴズは40キロの装備を
背負い100キロの行軍を行うと言う。
旧ソビエトの特殊部隊スペツナズは訓練なのに味方の陸軍の
弾薬庫を襲撃して死傷者を出すまでの実戦訓練をやる。
北朝鮮特殊部隊は40キロの背嚢を背負って昼夜かけての連続160キロの
行軍をなんと基本訓練として週に4度こなしている。
パラシュートでは400mの低空から降下中に200m先の標的に命中させる。
潜水艦から敵地に潜入する訓練は潜水用の錘、潜水服、酸素ボンベ併せて
80キロもの重さ。
これで20キロを泳ぎきるというからスゴい。
そしてその時の海水の温度は零下15度にもなると言う。
信じられるかい?
そして「生きて虜囚の辱めを受けず」の精神の元、「潔く自決して革命を
成功させよう」と叫んでいつでも自殺できる精神状態に追い込んでいる。
部隊で円陣を組み自分の右隣の人間を順番に撃ち殺して行き最後は
自決する。
又は円陣の全員が一斉に手りゅう弾のピンを抜くとかだ。
番犬と守衛がいる食料倉庫を襲い、米俵一俵を担いで40キロを
逃げ切ったり、埋葬されたばかりの死体を墓から掘り返し背中に
背負い30キロを遠泳したりと過酷さは文字では表現できないほどだ。
人間とはここまで、ここまでやれるのか。
ビリーズ・ブート・キャンプが実際の軍隊のトレーニングだと思ったらタイヘンだぜ。
どうだい、ビリーの叱咤が小鳥の囀り位に聞こえてこないか。

戦争の無意味さをここまで表現した写真があるだろうか。
眺めていて心が締めつけられるように感じる。
# by haruotokashiki | 2007-03-22 18:54 |
俺のアルバム
俺の会社が国際電話の交換機サーバーを設置していたビル。
マンハッタンからリンカーントンネルを通ってハドソン川を
渡ったニュージャージー側の川沿いにある。
ビルから見る夜景はまさに息を飲むほど美しいぜ。


かすかに見えるのが何か分かるかい?
ワールドトレードセンターさ。


路線図もいろいろ種類があるが一番のお気に入りはこいつ。
慣れてくるどうやって行くのが一番早いか、どの路線が便利か
すぐ分かるようになる。
しかしこの路線図はアートみたいだろ。
深夜残業して帰る時バイクを置いてきた時は地下鉄に乗る。
そんな深夜にホームに「OFF HOUR AREA」という枠が天井に黄色で
書いてある。
要は深夜に地下鉄に乗る乗客はバラバラに乗らないで真ん中の一両に
まとまって乗りましょうって場所だ。
だから10両編成で列車が入って来ても人が乗っているのは一輌だけで
それ以外はカラッポだ。
昔は深夜の地下鉄の席に座って新聞読んでいると突然ナイフで新聞を切られ
金を出せみたいなのはよくあったらしい。
俺はアル中の奴明らかな老体の強盗らしきのには遭った事はあるが軽くあしらう
事が何度かあった位でマジな強盗は幸い遭った事は無いんだ。
知人の娘が地下鉄構内で金を出せと言われた。断ると強盗は持っていた
バットで頭を殴られて意識不明の重態。頭蓋骨骨折だった。
なんと半年入院。
マジな強盗には50ドル位を渡すのが賢明と言われている。
その娘は退院してきても後遺症に苦しんでいた。
そして従兄弟が強盗に襲われた。
二人組みの強盗に空手の心得のある従兄弟は逆らった。
とたんに袋叩き。それも完膚なきまでにだ。
アタッシュケースと財布を奪われた。
翌日オフィスに現れた従兄弟の顔はハロウィーンのカボチャみたいだった。
日本人のイメージだとアメリカは銃社会と思っているだろうが
護身用でも意外と個人で拳銃を持つのは難しい。
車でもグローブボックスに銃を入れておくのは禁止。
また家でも車でも銃と弾を同じ場所に置くのは禁止。
銃を弾奏に詰めたまま置くのはとんでもない事。
だから護身用に拳銃を鞄に入れている奴なんてビジネスマンでは見た事がない。
但し護身用具は女性はよく持っている。
スタンガンはあたりまえ。まるで香水のような辛子催涙ガス。
大音響の防犯ベルなど様々だ。
ある日女性のマンションに行った時、リビングのソファに等身大の男性の人形が
座っている。それもけっこう大柄で体格のいい男。
これは外から強盗が部屋を伺っても中に男性が一緒に住んでると思うと
襲ってこないらしいのだ。
この人形はまた車にも積めて夜の信号待ちで強盗にも遭いにくい。
帽子にジャンパーを着ているとちょっと見男性に確かに見える。
オフィスの2ブロック先にある防犯グッズショップは見ているだけでも面白い。
最近の車の防犯装置は音声が車から聞こえる。
「Stayback! This Car is Protected by Viper」
「近づくな!この車はバイパー(超有名な防犯メーカー)によって守られている」
って5秒ごとにアナウンスするんだ。
しかし悪戯っ子はローラーブレードに乗って片っ端から車を叩いて警報を鳴らして
ブロック全体がアラームの大合唱になるんだ。
しかし実に面白い街だよ。

目にしみるような緑の芝生、森のダークグリーン、そして後ろには
文明の象徴のような摩天楼
一見アンバランスな自然と文明のコントラストが目を心を楽しませてくれる街
大画面のテレビがどうしても欲しくなって電気屋に行った。
同じサイズでも日本製は1.5倍位する。アメリカ製のゼニスにした。
配達するからと店は言うがすぐにでも見たいのでなんとスクータに積んで帰る
事にした。
マンションに着いてエレベーターに乗ろうとすると同じマンションに住むトムが
たまたまいて話しかけてきた。
こいつは筋金入りのオタクでいつもおかしな発明をしては自慢してくる。
耳掻きの先に超小型テレビカメラを付けて大画面テレビで自分の耳の穴の中を
見ながら掃除できる装置だったりする。
正直耳の中がでかく写って便利を通り越して不気味だ。
そんな奴だった。
「すげえな、これお前一人でスクーターに積んで来たのか。」そして
「ケーブルテレビ入っているか?」と聞くから以前入っていたけどあまりにも
見る暇がなくて解約したぜと答える。
するとトムは耳元でウイスパー(内緒話)だ。
「ただでケーブルテレビ見られるようにしてやろうか。20ドルでいいぜ」
それはありがたい。ニューヨークの映画チャンネルは公開後2ケ月くらいで
放映されるのでとんでもなく嬉しいのだ。
二つ返事でOKした。
トムはケーブルと50センチくらいのケーブルとコンバータを持ってきて工事を始めた。
壁の中に手を突っ込んでマンションに入ってるTVケーブルを引っ張り出し
俺の部屋のコンバータをバイパスして部屋に映像を取り込むのだ。
機械が海賊だからガード信号が外れているのだ。
工事は完了しその晩は映画三昧だった。
だがやがて仕事の忙しさにかまけてだんだん見なくなって行く。
帰宅してスイッチを入れても眠気には勝てないのだ。
ある日マンションに帰ったらパトカーが停まっていた。
なんと警官は開いた俺の部屋のドアの前に立っていた。
驚いて事情を聞くと、このマンションのケーブルテレビが一斉に見られなくなったらしいのだ。
ケーブル会社が調べると違法な工事を発見して911(110番)したのだ。
壁に無断で穴を開けた器物損壊の容疑だ。
もちろんどこの誰に工事を依頼したんだと聞く。
口からトムの名前が出掛かったがぎりぎりで思いとどまった。
廊下の野次馬の中にトムが見えたからだ。
両手の指を組んで次に右手で十字架を切って必死にすがっているような様子。
俺に黙っていてくれって事だった。俺は表情を変えずに警官に
ホットドック屋にいた奴に頼んだ。連絡先は知らないと答えた。
俺はミスデミーナ(軽犯罪)と言う事で機材の没収だけでお咎めはなかった。
せっかくの投資家E2ビザが警察ざたで危うくなるのは避けられた。
次の日、シナモンロールを一箱持ってきて御礼に来た。そして言う。
「水道管の奥のプロペラをとっかえれば水道代ただになるぜ、
昨日の恩があるから5ドルでいいぜ。TAXインクルードだ」
「オーケイ、但し今度はお前の名前と部屋番号を水道管に貼っておくからな」
両手をあげて振って逃げるように帰って行った。
全くこりない奴だぜ。
PS ゼニスのテレビは一週間でフラッシュのような閃光を発した後
突然真っ白になって写らなくなった。
また壊れたテレビを運んでパナソニックに変えた。
ドアマンに言われた。
「ミスタートカシキはテレビが本当に好きなんですね」

ビルの隙間から見える夕日はブラックとオレンジの見事なコレボレーションを描く。
美しさで泣きそうになるぜ。
初めてK子に逢ったのはあるパーティーで共通の知人を通してだった。
俺より年下なのにマンハッタンでは彼女がバリバリの先輩。
コロンビア大学で助手を勤めていた。
天は二物も三物も与えるとはこの事だった。
長い手足、くりっとした目、飛び切り細いウェストは国体にも出場した
卓球のおかげと言う。
ニューヨークの女性にもちと嫌気がさしていたときの一筋の光のようだった。
飛びぬけた才能を持ちながら実に健気で優しいのだ。
知人の女性と3人で共にしていた食事もいつしか二人だけになっていった。
しかし俺は彼女に対し確かに好意を感じていたのだ。
しかし当時の俺は強烈なコンプレックスをも同時に感じていた。
彼女のアメリカ文化と英語に関する知識は実に途方もなく
話に引き込まれていくのだ。
週末のブランチはプラザのトレーダービックスで。
その後はセントラルパークをメトロポリタン美術館まで歩き
絵の講釈を受けた後、ターバン・オンザ・グリーンでお茶をするのが
ひそかな楽しみに変わった。
あの時の感情は何だったのだろう。
今分析してみても愛情に似た好意は確かにあったが
彼女を自分の恋人にしたいなんてレベルの対象に考えられないのだ。
彼女の持てる全てを知りそして一つでも多く吸収したい。
教会の神父さんに対する思いとでも言おうか。
聖母マリアから教えをこうている感覚だ。
ある日、俺が英語ができなくて悩んでいると話した事があった。
この話題は日本人に会うと必ず出てくる話題だ。
当然いつものようにいろんな自分なりの勉強法が聞けるのかなぐらいに
思っていた。
K子のは言った。「本じゃないんでしょ。会話でしょ。シェイクスピアや聖書なら
理解するのちょっと大変だけど会話の英語はむずかしいのないじゃない。
ぜんぜん大丈夫だよー。」
俺に取って目からポロリと鱗が音を立てて落ちた瞬間だった。
もしかして俺は世間の決める苦しいもの大変なものと言われている感覚を
そのまま受け入れているのかも知れない。
自分の目で判断する、価値を測る、そんな事をしてこなかったのではないだろうか。
常識や慣習がどれだけ人の能力が伸びるのを阻害するか思い知った。
彼女は心理学を専攻し将来の夢はPhd(博士号)を取って病気と正常の境界線あたりで
苦しんでいる多くのビジネスマンを救う精神科の医者になる事だった。
そして後年、それは見事叶えられた。
彼女の言葉がどれだけ俺に力を与えてくれたか。
愛を越えた尊敬の感情を生涯初めて経験させてくれたK子に今も心から感謝している。
マンハッタンに来てまだ間もない頃、
電通ヤング・アンド・ルビカム社で打ち合わせがあった。
日本企業がスポンサードする国際スポーツ展示会の打ち合わせだった。
うちの会社の東京オフィスからの依頼のテンポラリーなアサイメントだった。
ここのオフィスは特徴的でとにかく奥行きが10mぐらいしかなく横に80mくらいの
うなぎの寝床みたいなのだ。
社員の80%が管理職でそれぞれが個室を持つ。長い廊下を突き当たると
会議室がある。
出席者は8人。うち5人は日本人で後はアメリカ人。
俺がこのような日米同席の会議では英語で議事が進行され手元に配布される資料は
全て英語。さらに意見の交換も英語だ。
会話をキャッチアップするのも一苦労で最初は内容の2割も理解できなかった。
手元の資料を読もうとすれば耳は留守になる。
まして質問されても稚拙な英語でしか返せない。
出席者の日本人からは鼻で笑われていた。
何よりも恥ずかしかったのはいつも日本語で話している日本人相手に英語で話さないと
いけない事だった。
出席者のアメリカ人に分からない日本語で会議で話すのはご法度なのだ。
しかしこれがなかなか辛い。さらに相手が達者な英語を見せ付けるがごとく
「どうだ、分かるかこれが」と言わんばかりのバリバリの巻き舌のスラングで
話して俺が理解に苦しむと「こんなのも理解できないのか」と言うような表情を
する。こういう事をするのは女性が多いんだ。
マンハッタンに住む日本人女性は日本に住む日本人女性とは別の生き物かと
思ってしまった。
月日が流れ英語力は相変わらずでも度胸と肝は据わってしまい、相手がどんな
大人数であろうと日本人であろうとアメリカ人であろうと何百人の聴衆の前で
話す事は苦にならなくなった。
いや、むしろ好きになった。
でも今でも感じるのマンハッタンの日本人女性は野性味が強い。
ビンビンに伝わってくるのは自分を「デキル女性」に見せたい事。
「なめるなよ」「ほら尊敬しろ」と言わんばかり。
仲間と手を合わせて仕事をする事よりも戦う事の方が得意のようなのだ。
十数年の付き合いのある仲間とある日突然仲違いして凄まじいコンフリクト(闘争)を
繰り広げる。
彼女らを見ていると共同事業がいかに難しいか思い知らされる。
儲かっては利益配分で、失敗したら責任のなすり合いでかならずもめるのだ。
あれだけ姉妹みたいに中が良かったのに。
不信のシナジー効果はとりとめもない事を思い知らされる。
相手が私を疑っているとこちらは思ったとする。その疑念は隠していても
どこか表面に出てしまう。
すると相手はそれを察知してこちらに同じくガードをややあげる。
するとこちらはますます疑う。
この負のスパイラルにはまりあっという間に人間関係の崩壊への
導火線に火がつくのだ。
マンハッタンはプライベートでもビジネスでも出会いと離別の回数は
東京の何十倍も多いだろう。
ひとつ言える事。
優しい女性日本人と日本料理が恋しかった。
カリブ海の小さな島の港街を歩いていると子供たちから「チーノ、チーノ」とか
「チンク」って言われた事があった。
「チーノ」とはスペイン語で「中国人」という意味だ。
俺が「ソイハポネス(俺は日本人だよ)」と言うと「だったらチーノだ」と言われた。
チーノとは東洋人一般を馬鹿にした言い方なんだ。
「チョリーナ・ユー・ワナ・ナックル・チョリソー?」(インディア野郎、ゲンコツの
チョリソ欲しいか?)ってこっちもやり返す。
NYでも普通に生活しているとオフィスでもレストランでも、日本人を
馬鹿にしたような態度をされることがたまにある。
5番街のカルティエやエルメスで、日本人観光客がたまにどっと押しかけたり
するとショーケースにいるスタッフがペラペラって普通の日本人に聞き取れないような
速度で日本人に向かって日本人の悪口を言っていたのを何度か偶然聞いた事がある。
笑顔で「こいつらイエローモンキーに買われる商品が可愛そう」
って。
本屋でトーマスクックの時刻表を買いに行った時、レジで「お前ら黄色い猿ににこういうものがわかるのか?」という態度を取られた事もあった。
俺は笑いながら「あんたら白い豚がこんな本作れるなんて大したもんだぜ」って
言い返したら真っ赤な顔してレジから飛び出て来たのを他の店員が止めていた。
LAのレストランのローリーズでValet Parking (ボーイに鍵を渡して駐車してもらうパーキング、バレーパーキングと発音する)でいくら待ってもボーイが車を取りにこない。
20分も待たされた。
その時は安物の大衆車だった。
別の日キャデラック・フリートウッドで同じレストランに乗り付ける。
弾かれた様にボーイがすっ飛んで来る。
実はアメリカでは車を見て差別をするあからさまないい例だ。
日本人は自分たちが世界の先進国で、世界中の人が日本に憧れ、
日本を尊敬し、日本みたいになりたい思い込んでいるようだ。
しかし、現実は違う。
日本人は、よくアメリカの黒人差別の「ルーツ」とか「アミスタッド」なんかの
映画を見て涙し差別は許されないなどと言うが、実は黒人が日本人を差別している。
俺がバハマで休日を過ごしていてもリゾート客はほとんど白人の欧米人だ。
そこに場違いな東洋人がふらふらと迷い込むと、欧米人観光客からも、
ホテルのスタッフからも、現地の黒人からも差別を受けることになる。
日本人は欧米人に比べれば、ランクは下に見られる。
日本人は東南アジアでは金をばらまいていても、丁重な扱いを受けてるつもりでも
彼らが敬意をはらっているのはお金に対してだ。
バンコクでも欧米人には「サー」と返事しても、日本人には「ミスター」と返事をする。
シェラトンホテルの宿泊料金が高いのは、従業員に人種差別をしないように教育しているからなのだ。
世界中のほとんどの人は、日本が一流国だなんて思っていないし、
関心も無い。
ただ日本の女の子が世界中で人気なのはこれも実は差別なんだぜ。
別の意味でな。
NYで人気のComic Strip Liveってコメディショーで名を上げてきた
RIOって
日本人コメディアンがいる。
これで笑える日本人がいたら辛いぜ。これで飯食ってるRIOを
一度ぶっ飛ばしてやりたいぜ。
でも考えて見てくれよ。京王プラザホテルが東洋の団体ツアーでいっぱいだが
もしニューヨークのウォルドーフアストリアホテルのロビーが日本人で
ひっくり返っていたとしてそれを見たアメリカ人がどう感じるかって事を。
一流のブランド品を所詮身にまとってもいいホテルに泊まっても
イエローはイエローとしか見られないんだな。
アメリカの富豪連中でカーマニアはどの車に憧れるか分かるかい?
フェラーリ?ランボルギーニ?メルセデス・マイバッハ?
彼らに言わせるとこんなのはガキの車なんだそうだ。
日本人はほとんど耳にした事がないだろうが
「デューセンバーグ」 憧れるとしたらこの車しかないのだ。
1929年から1937年までたった8年の間に、僅か380台しか生産されなかった
ハンドメイドの超高級車。
アメリカ人にとっては、古きよき時代の代名詞ともいえるクルマなんだ。
『一番大きく、早くて、高価で、最高品質の車』をポリシーに作られた車なんだ。
ハリウッドでスターの証としてクラーク・ゲーブルやゲイリー・クーパー、
グレタ・ガルボ等が愛車としていた。
ハリウッドのチャイニーズ・シアター前のレッドカーペットに乗りつける車は
決まってデューセンバーグだ。
当時のエスタブリッシュメントや欧州の皇族たちにもファンは多かった。
さらに禁酒法の時代、マフィアのボスたちもこのステータスに憧れ
愛車にしていた。映画「ゴッドファーザー」にも見ることができる。
贅の限りを尽くした超高級車であるから、無意味なくらいデカくそして重い。
装飾品が満載。
まず、まともに走りを楽しむことはできないとすら言われていた。
しかし実際は『モデルJ』のエンジンは当時はレーシングカーにしかなかった
DOHCが採用され、給・排気ともに2つのバルブ(つまり1気筒あたり4つの
バルブ)を備えた排気量7リッター、265馬力を誇り、
3トンもある車体を最高時速192kmという高速で引っ張った。
このエンジンは加速力もすさまじく、停止状態から時速160kmに達するまで
わずか21秒しかかからなかったという。
今ではピンとこないかもしれないが当時の車は5馬力や10馬力が
当たり前の時代だったのだ。
まさに「モンスター」だったのだ。
DOHCや4バルブが装備されるなど当時のレベルからすれば脅威なのだ。
いいかい、1920年代の話なんだぜ。
デューセンバーグ社はエンジンとシャーシーのみを
顧客に販売し、顧客は自分の好みに合わせて、腕利きコーチビルダーに
ボディを贅を尽くしてハンドメイドさせ架装させて乗っていた。
そのため同じ車種といえど2台と同じデューセンバーグは存在しなかった。
そうして完成した車は現代の車には決して求め得ない神業の職人芸や
エレガントさや壮大さが息づいている。
内装の美しさはまさにため息ものだ。
ちなみに『モデルJ』の価格はシャーシーのみで8,500ドル
でボディまで含めると30,000ドル近くの
金が必要だった。
当時の代表的大衆車フォード・モデルAの価格が500ドルだった時代の話である。
1932年には『モデルJ』のエンジンにスーパーチャージャーを搭載し、
320馬力・最高時速208kmまで威力を高めた 『モデルSJ』が発売されたものの、
オーナーであるエレット・ロバン・コードの破産によって1937年にデューセンバーグは
その歴史に幕を降ろした。
しかしデューセンバーグはコレクターの手によって大切に親から子へ乗り継がれ
市場にたとえ出てもサザビーズやクリスティーズで2億や3億といった値段で取引される。
ニューヨークの犬のグレートデン連盟の会長がたまたま逢った時、デューセンバーグの
トレーナーを着ていたので声をかけると案の定オーナーであった。
好意で見せてもらう事ができた。
デカさと豪華さに圧倒されるが狂乱の1920代のアメリカにしばし思いを馳せる事ができた。
Uターンする時は反対車線も入れて4車線全部使っても切り返しが必要な位
ハンドルは切れない。
これを作った職人たちや最初のオーナーたちはとっくに鬼籍に入っているが
彼ら男たちの少年の様なやんちゃな夢はこの車に生きている。
メーターを見ているとこの車にふと呼吸を、鼓動を感じるのだ。
アメリカの古き映画の大物が登場するときには必ずデューセンバーグが登場する。
まさにチャップリンの時代なのだ。
日本人のハリウッド・スターのグレート・セッシュー事、早川雪州も
オーナーであり助手席の女性をドアを開けておろす時に自分の毛皮を
水溜りにひいて女性の靴が汚れないようにした。
まさに絵になる極限のリッチなレディーファースト光景だ。
アメリカのセレブなら誰でも知っている車を知っている日本人はほとんどいないのは
いったいなぜなんだろう。
デューセンバーグでプラザホテルに乗り付けてドアマンの驚く顔が見てみたいぜ。




# by haruotokashiki | 2006-09-04 19:43 |
俺のアルバム
佐渡島ロングライドレースとマウント富士ヒルクライムの
俺の記事が雑誌、サイクルスポーツの9月号の179ページに
載ったあ。
その記事の中のイラストが似てるって言われるので載せてみたよ。
# by haruotokashiki | 2006-09-04 19:15 |
スポーツ
1ヶ月で10万冊ベストセラー『ハワイ プチ富豪の成功法則』の著者ヒロ・
ナカジマのメルマガ。34才でプチ富豪。37才マウイ島に移り住み、大好き
なカイトサーフィンに明け暮れる毎日。いわゆるヤング・リタイアメント生活。
年収1,500万円より300万円のあなたにチャンスもたくさんあります。
そんなヒロが語るあなたにもなれる『ヤンリタ』のノウハウを完全公開!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2006/08/27━━
■■■■ あなたにもできる
■■■ ヤング・リタイアメントへの道
■■ From ハワイ
~『ハワイ プチ富豪の成功法則』~
(第34号) 《(原則)ヒロの気分次第で発行》
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
アロ~ハ~
マウイよりヒロ・ナカジマです。
お久しぶりですね。
マウイで毎日満喫をしていたら、あっという間に半年が過ぎてしまいました。
やっぱ、マウイはいいなぁ・・・
でも、パラダイスはハワイだけではありません。日本にもたくさんパラダイス
はあります。本当です。この目で見てきました。
今回のテーマは、
=================================
日本の南国でもヤンリタはできる
=================================
です。
そこは、 =============================
日本の楽園「沖縄諸島」
=============================
8月上旬より3週間、沖縄の4島
・宮古島
・石垣島
・波照間島
・竹富島
に行ってきました。昨日帰ってきたところです。
いっぱ~い満喫してきました。
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こ~んな身近に最高のビーチとコバルトブルーの海があるのを気づかなかった
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海外に住んでいると、
日本の良さが見えてきます。
日本が恋しくなります。
だから第三者的な感覚で日本を見ることができます。
私は今までに40カ国以上旅をしました。
海が大好きなので、特にきれいなビーチを求めて。
今回私が訪れたどの島も、海外の人に自慢できるほどきれいな海をビーチがあ
ります。
ビーチの美しさ、水の透明さ、さんご礁の美しさ、魚の数は私が住んでいるハ
ワイより断然多いです。
それに
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沖縄の文化や人々の奥深さ
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たくさん惹かれるものがあります。
地元の人たちと交流を深めてきました。
毎晩のように飲み歩きました。私はお酒に弱いのですが・・・
杯を交わすことによって、地元の人たちと分かち合うことができます。
田んぼ道ですれ違った地元の人や、地元の人が行く食堂などで気軽に声をかけ、
いろいろな情報を教えてもらう間に話が弾み、「今から飲みに行くんだけど、
お前もくるか?」なんてハプニングもありました。(笑)
そしてその後はご想像の通り、朝まで酒付け・・・
それもアルコール度が高い泡盛で・・・
次の朝は二日酔いで大変でしたが、地元の人たちとの交流は有意義なものでし
た。
そして更に、
公用でたまたま石垣島に来た知り合いの衆議院議員、渡嘉敷なおみさんと合流
し、石垣島市長と面会をしたり、市役所の人たちと食事をしました。
石垣島のために何かできる事を皆で楽しく話し合いました。
私が心を開くと、皆さんも私を受け入れてくれました。
「ヒロももう俺たちの仲間だ。」
石垣島の地元の人たちから言われた。
うれしかった。
「あ~ぁ、これが沖縄人のこころなんだなぁ・・・」ってつくづく感動をして
しまいました。
私は決心をしました。
日本人の心を忘れないためにも、これから年に2,3ヶ月は沖縄に住むことを。
皆さん、
「旅行に行くなら海外へ」
または「きれいな海とビーチに行くならハワイ」なんて思っているのでは?
もっと身近なところにパラダイスはありますよ。
皆さんも母国のパラダイスに足を運んでみては?
お祭りは沖縄の文化の一つ。たくさんあります。
沖縄人は祭りと酒盛りが好きなのかな?(笑)
その中の大きいお祭りの一つ、
「八重山の産業祭り」が11月4、5日(土日)に石垣島で開催されます。
そのお祭りに合わせて私もまた沖縄へ行く予定です。
興味のある方はお知らせくださいね。「沖縄人の心」を感じましょう。
編集後記:
日本のパラダイス、沖縄を私に勧めてくれた友人を紹介します。彼はニューヨ
ークの国際電話事業時代のライバルで、通信会社の営業マンの紹介で知り合っ
た渡嘉敷治夫さんです。ライバルだったのに意気投合して、今では兄弟みたい
な男。現在は東京の渋谷でIT企業のオーナー。今回の沖縄旅行も彼と行きま
した。途中で彼の妹のなおみさん(国会議員)が加わり、毎晩酒盛り。楽しか
った~。
ハワイへの帰り道に私のビーチウエアのスポンサーの会社、ベイリーフ(大阪府
吹田市)にも顔を出しました。そしたら偶然にも渡嘉敷なおみさんの事務所も同
じ吹田市に。大阪7区からの衆議院議員として、国会や地元への貢献のために
朝から晩までスケジュールがいっぱい詰まっている彼女。それなのに無理して
私の急な訪問のために30分ほど時間を取ってくれました。事務所には秘書が
6,7名。忙しそうな感じで活気あふれるばかり。「日本国と地元のためにがん
ばっているんだなぁ」って肌で感じました。
今回、私をいろいろなところへ案内してくれた方、付き添ってくれた方、一緒
に朝まで飲み明かしてくれた方(笑)、沖縄のこころを教えてくれた方、宮古島
と石垣島のカイトサーファーの方、いろいろありがとうございました。
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英語のまぐまぐの人気コーナーがついにサイト化しました!現地の小学生が解
く問題に挑戦してみて下さい⇒ http://cgi.mag2.com/c/w/mag?id=728_060828
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アメリカのレストラン王のベニハナのロッキー青木さんと
一昨年かな、一番最近逢った写真。
この時はロッキーさんは全く日本語を話さず最後まで英語で話して
いたなあ。いつもは英語と日本語のちゃんぽんなんだけど。
俺もちょい太ってる。
# by haruotokashiki | 2006-09-04 16:23 |
俺のアルバム
地下鉄で出勤していた俺だ。ずいぶん前の写真が出てきたぜ。
# by haruotokashiki | 2006-09-04 16:19 |
俺のアルバム
マウント富士ヒルクライムの完走証明書とゴールの瞬間の写真が
刷り込んである。雨と霧が分かるだろう。温度は5度だぜ。
一人で長距離を走るのもいいがこうやって公式な大会で記録として
公認されて残るのもいいものだ。
レースを数多く経験しているベテランの選手の一人が言っていた。
こんなに辛いレースは初めてだったと。


# by haruotokashiki | 2006-06-28 16:35 |
スポーツ