ダッカの交通
バングラディシュ・ダッカのジョン
俺の運命の時
娯楽と日本人の身体の弱さ
バングラディシュの医療事情
ここで恐ろしいもの
悪魔の商店街
現場監督の家に食事によく招かれた
給水塔建設の事故
駐在員
バングラディシュの都心の交通渋滞は凄まじい。
首都ダッカで最も大きい4車線の交差点で信号機が
しょっちゅう故障している。
さらに日に2~3度ダッカ全体が停電を起こす。
夜だと繁華街でも真っ暗闇になるんだぜ。
月夜に浮かぶ建物のシルエットのだけが見える街に変わるんだ。
それはそれで幻想的だ。
国際空港も例外ではない。着陸寸前のランウェイのライトが一斉に
消える。着陸寸前の飛行機は慌ててゴーアランンドして上昇する。
滑走路脇にはこんな停電に備えいくつもの石油缶が間隔をおいて
並んでいる。空港職員が大急ぎでタイマツで火を点けて行く。
なんとその石油缶の火を頼りに国際便が着陸する国なのだ。
ドライバーのアリがここではハンドルをこうやって持つんだと言って
見せた握りは左手の親指は常にホーン(クラクション)の上。
とにかく走っている時はホーンを鳴らしまくるのだ。
その鳴らし方も無造作ではなく音の間隔である程度の意思を伝えて
いる。
「早くいけ」「列に入れてくれ」「この野郎!」「サンキュー」「どうぞ」
これらをそれぞれ決まった鳴らし方があるのだ。
車で都心を走ると孤児や乞食が物乞いのために窓に張り付き
動く事ができなくなる事がある。
そんな時、ドライバーが窓から小銭のコインをパアッーっと放り投げると
まるで餌にたかる鳩のように人が群がり凄まじい奪い合いが展開する。
その隙に車は移動する。
俺が最初にバスに乗ろうとした時にアゼンとした。
バスは停留所に来てもスピードを落としはするが停まらないのだ。
乗車する人は走って飛び乗るし、降りたい所でうまく飛び降りるのだ。
もし乗り損なったら後ろから来ている車に轢かれてしまう。
そしていつも満員に近い。
だが飛び乗りを乗客が手を差し伸べてヘルプしてくれたりもする。
時間が経ちやっと車内で座れても座席の下から蚊がワーっと湧き出るように
現れる。そしてシートには一円玉大のダニがいる。
日本人の女性がこんな市民の暮らしはまずできないだろうと思った。
列車の屋根にも乗ったが一番怖かったのが鉄橋をくぐるときだ。皆が
屋根に一斉に横に寝そべって通過するのだ。
雨の日は危険だ。落ちる人が続出する。
何もかもが驚きの連続でせまい日本の価値観に縛られていた自分に
落雷したかの如く人生に戦慄が走った時だった。
▲ by haruotokashiki | 2006-02-09 05:46 |
バングラデシュ
俺がバングラディシュにいた頃、ダッカから車で4時間ほどかかるジャングルで
アグリカルチャー・リサーチ・センターの建設に携わっていた。
当時は大学生で専攻が機械工学だったのでドラフターはなんとか使え
簡単な倉庫くらいの図面は引いたりしていた。
完成したらなんとトラクターの屋根がつかえて中に入らなかったけど。
そんなこんなで仕事と言えばアドミニストレイターと呼び名はかっこいいが
単なる雑用係りだった。
機材の調達、廃棄物の廃棄、機械の税関、従業員の食料の調達などだ。
アメリカのトラクターメーカーの駐在員ジョンはお腹の突き出た
陽気な男だった。
その彼がとんでもなくドラッグでもやっているのかと思う位明るい日があった。
俺が「どうしたんですか?何かいい事あったんですか?」って聞くと、
「実はなバングラディシュに住むのはどうしてもいやだと言っていた細君が
遂に折れてダッカに来て俺と住んでくれるかもしれないんだ。
細君が旅行で10日間ダッカに滞在してみてもしなんとか暮らせそうなら
その後ずっと一緒にジョンと暮らしてもいいと言ってくれたんだ」
ダッカは外国人にとって娯楽が少ない。ほとんどの駐在員は単身赴任だ。
国際電話は申し込んでも5時間待ちなんてザラだ。
もし途中で雨が降ってきたらなんと会話している途中で回線が切れてしまうのだ。
雨が止むのを待ってまたかけ直しても繋がるのはまた5時間後だ。
そんな国で家族が一緒に暮らしてくれるのはどんなに嬉しい事かは
この国に暮らしてみないと分からないだろう。
おおよそ先進国の女性が暮らせるような国ではないのだ。(詳しくは前述)
そしてジョンの奥さんはやって来た。彼ら夫婦には子供はいなかったので
子供のように可愛がっていたチワワを連れていた。
しかし潔癖症ぎみの奥さんの話を聞いていた俺はどこか心配だった。
波乱は初日から起こった。奥さんが浴びていたシャワールームの床に
ムカデが入り込んだのだ。ここのムカデは特大だ。ちょっとした日本の青大将位ある。
裸で飛び出した奥さんはベッドルームでチワワを抱きしめて泣きじゃくりジョンがとりなしても
一時間は出てこなかった。
事件は次の日に起きた。自宅で食べていた夫人のシチューの皿に天井から
ヤモリが落ちて来たのだ。シチューの中でバチャバチャと暴れるもんだから
奥さんの顔に飛び散った。
泣きじゃくる奥さんを見てジョンは血だらけのあの映画「キャリー」を思い出したそうだ。
日曜日にダッカ市内観光に奥さんを連れ出した。市場や駅の人がただただごった返す
所やパキスタンからの独立ののろしが上がった場所のモニュメントなどを
案内して周った。少しずつ笑いを取り戻した奥さんだった。
しばらくして奥さんはお尻にズキンとした痛みを感じた。
三つか四つ位の小さなコブができている。
ジョンが見てやるとなんとそれはダニに噛まれたあとだった。
コブのように腫れ上がりてっぺんは銃痕みたいに黒い円形になっている。
あわてて医者に連れていった。抗生物質を注射され家に帰ったが
一晩発熱したそうだ。
おまけにびどい下痢に苦しんだ。
この時点で奥さんはダッカで暮らす事は無理だとジョンに告げていた。
ジョンはなんとかもう一度考え治してもらえないかと必死で懇願した。
ダッカは確かにひどい所だが何か有る度に必死で尽くしてくれる
ジョンの献身的な姿に感激し奥さんはもう一度考えてみようかと思った。
土曜日の夕方、元気になった奥さんをジョンはダッカでは一番有名な
バングラディシュ料理の高級レストランに連れて行った。
まあ高級って言っても日本で言うビヤガーデンみたいなレベルだ。
店最高の料理をたらふく食ってもせいぜい40ドルもしないんだぜ。
それでも奥さんはドレスアップして愛犬のチワワと共にジョンのエスコートで
予約したレストランに現れた。
テーブルについたジョン夫妻に一人ずつ後ろにボーイがついて
二人がテーブルに着くと椅子を引き座ると同時に別のボーイがナプキンを
膝にかけてくれる。
メニューを見ながらジョンは今日はシュフおまかせでいくことにした。
バングラディシュ人のボーイはいつもどこか怯えている風に見える
位ペコペコするのだ。
客は全て外国人だけだ。
自分を完全なるサーバントだと思っている。
奥さんはそんなジョンが素敵に見えた。
ワインのテイスティングもさまになっている。
奥さんは後ろに立っているボーイを呼んで、連れて来たチワワに
ここで食事を一緒にさせる訳にいかないので厨房に連れて行って
食べ物をチワワ上げて欲しいと頼んだ。
ボーイはちょっと驚いた表情を見せたが「イエス・マム!」と言い
チワワを連れて行った。
二人の食事はおいしいワインも手伝ってあらゆる料理が次から次に
出て来てさすがにお腹がいっぱいになった。
このレストランはストップをかけないと幾らでも出てきてしまうのだ。
デザートとコーヒーを終えテーブルチェックも終えた。
ボーイを呼んでチワワを連れて来てくれと頼んだ。
一瞬そのボーイが凍りついた。
真っ青になったボーイがすっ飛んで下がり支配人を連れて戻ってきた。
「奥様、あの犬のほうはお二方が先ほど召し上がられたソテーでお出し
したはず・・・・」と言いかけたところで奥さんは床に倒れてしまった。
なんとボーイは奥さんの英語の
「厨房に連れて行って何か食べさせてやってくれ」を
「この犬を厨房で料理して私に食べさせてくれ」と勘違いしたのだ!
二人は愛犬を食べてしまったのだ。
奥さんを車で外国人専用の病院へ運び鎮静剤を打ち手当てをした。
奥さんは一週間入院し退院するとその足で荷物をまとめアメリカに
帰ってしまった。
ジョンに「こんな国に二度とこないわ、私は一生中東にもアジアにも
来ない。誓うわ」と言い残して。
俺のアメリカの友人が韓国のある金持ちの家に遊びに行った時、
庭にいっぱい犬がいて尻尾を振って愛想を振りまく様子がとても
可愛かった。
その金持ちの主人が「君は犬が好きかね」と友人に聞くので
「ええ、もう大好きです」と応えた。
するとその主人は一匹の犬をつかまえ首根っこをいきなりバキって
折って殺してしまった。
そして使用人を呼んですぐに犬鍋にしてくるようにと命じた。
友人はショックで座り込んでしまった。
友人の「好き」はペットとして、韓国人のその主人は「好き」を
食べ物の「好き」と理解したのだ。
韓国は2002年のワールドカップ開催時も犬の肉の試食コーナーを
出していた。これは欧米からコテンパンに批判を浴びた。
その後のビジネスでもアメリカ人が言っていた。「犬を食う国の人間とは
ビジネスをしない」って。それはすごい迫力だったぜ。
その事件後、あのオールウェイズ天真爛漫のジョンが落ち込む姿は見ていて悲惨だった。
二ケ月後、ジョンも帰国した。
習慣、風習、言語、解釈、どれもが違う国をまたいでいると俺に様々な事を
教えてくれる。
正に俺にとって「経験」とは最高学府だ。
俺は残酷だったがジョンに聞いた。
「アイ・ヘイト・セイ、ワズ・イット・グッド?」(言い難いけど、うまかったの?)
「イエー・イット・ワズ・グッド」って小さい声で言っていた。
俺聞いて悪かったよな。
でも俺、犬は大好きなんだ。
雑種、三河犬、シェパード(ブリーディングしてた)、
グレートピレネーズ、ラブラドールレトリバーが
俺の犬遍歴だよ。
犬は置いて行った方がいいよ。
バングラディシュでは犬は「不浄の物」とされているから。
▲ by haruotokashiki | 2005-05-11 00:31 |
バングラデシュ
うちのやり手の営業女性スタッフが鬱病で
今まで何度もリストカットをして自殺しようとする。
そしてまたやった。
気分がダウンした時、生きているのが辛いそうだ。
なぜそうもいとも簡単に「生」を投げ捨ててしまうのか。
生きたくても生きたくても死んでいかなくてはならない
人がこんなにもいると言うのに。
俺が19歳でバングラディッシュの首都ダッカに住んでいたとき
大学を長期に休み建設現場で技師の雑用助手で働いた。
その時、日本航空機ハイジャック事件がクアラルンプールで発生したんだ。
日航機DC8機が乗員乗客計140人で日本赤軍に占拠され
クアラルンプールに篭城した。我々はそのニュースをダッカで見て
たんだがそれからなんと機は飛立ちどこへ向かうのだろうと思っていたら
機はビルマ上空を通過してダッカ空港に着陸した。
もうそれは街中蜂の巣を突付いたように大騒ぎだった。
当時のハイジャック機は篭城して交渉が決裂すると飛行機を爆破
する事がよくあったからだ。
街には避難する人が溢れ車もまともに通行できない。まさに人、人、人の
海だった。
人がいなくなった空港周辺には軍隊が検問を設け車を一台一台チェックしている。
検問の横には装甲車2台が斜め駐車して直行して突破できないようにしている。
政府軍が警戒しているのはこの騒ぎに乗じて地方に展開している反政府軍が
ダッカに一気に進行し政府転覆のクーデーターを起こすことなのだ。
しばらく沈黙を続け管制塔からのバングラディシュ政府軍の指揮官との
交渉でも日本赤軍からの反応はなかった。
そして数日後、日本赤軍は乗客を人質に刑務所に服役中の囚人仲間の9人の引渡しと
16億円の現金の要求を日本政府に突きつけた。
当時は現在の福田官房長官の父親の福田赳夫が首相だった。
前例のないこの要求に当時の平和ボケしていた日本政府は上へ下への
大パニックだった。
これまでにどの国の政府もテロリストが要求を出しても取引は一切しないというのが
慣例だった。
たとえそのために人質が危険にさらされてもだ。
その頃発生したドイツはルフトハンザ機ハジジャック事件ではGSG9という
特殊部隊が突入し犯人を全員射殺して制圧したんだ。
またアフリカのウガンダのエンテベ空港に篭城したイスラエル航空機に
イアスラエルのパラスという特殊部隊を送り込み見事犯人一味を射殺し
無事人質を奪還してる。ここは狂人アミン大統領の政権でイスラエルは
特別敵視している国だった。
つまりどの国も一度脅迫に屈すると必ず繰り返されるのと
脅迫は通用しないんだということをテロリストに分からせる
事が必要だったんだ。
俺は日本政府がどうでるか。ずっと見ていた。
日本の内閣で何日も何日も閣議が続いてカンカンガクガクの
議論が続いた。
そして日本政府は回答を発表した。
なんと超法規的措置で囚人を釈放し身代金を16億円払った。
刑務所から日本赤軍の幹部が車で羽田空港に護送され手錠を
はずされダッカ行きの飛行機に乗り込む姿を見て苦労して彼らを
逮捕した警察はどんなにか悔しかったろう。
ジュラルミンケース数十個に入った現金と囚人達と交換に人質たちは
無事開放された。
記者会見にのぞんだ沈痛な面持ちの福田首相。
「人1人の命は地球よりも重い」と取引に応じた理由を述べた。
世界二位の経済大国国家が人質を取ったテロリストの
要求の前に膝を屈した瞬間だった。
日本の姿勢は信じられなかった。
当時の世界中から「なんという前例を作ったんだ」と非難轟々だった。
もし彼らが「金よこせ、仲間釈放しろ、でないとサンシャインビルと
防衛庁破壊するぞ」って言ったらまたお金払って釈放すると
思うよ。
この国は何と言う事をしたんだと思った。
当時の空港には軍隊が厳重に飛行機の警備をしていて
空港は閉鎖状態だった。滑走路全体を戦車と軍隊が囲んでいたんだ。
俺はたまたまジャングルのチタゴンからダッカに食料仕入れに
来てて空港の飛行機を野次馬根性で見に行って
生命にかかわる大変な事件に巻き込まれてしまったんだ。
空港のハイジャック機の様子を見ようと
現場からけっこう離れたフェンス越しに双眼鏡とカメラで連れの現場の従業員と
のぞいていたんだ。
飛行機は滑走路のランウェイの真ん中で駐機して足元を軍隊のトラックで囲まれ
離陸できないようになっていた。
突然2台のジープと装甲車に俺達は囲まれた。
夕暮れだったので一斉にサーチライトが私と連れを照らしだした。
ライトが眩しくて何も見えない。
短パンにベレー帽に自動小銃を持ったのが
2人、将校らしきのがひとり飛び降りてきて
こちらに一斉に軽機関銃を向けてきた。
本物の銃さえ初めてだったのにそれを1メートルくらいの
距離から向けられている。
こんな場面で見るマシンガンはなんと不気味に見えるか。
銃口ははっきりこっちを向いてる。
生まれて初めて経験する恐怖だった。
別の一人が銃床で後ろから首を殴られて地面に倒された。
手を頭の後ろに組まされ顔は地面に押さえ込まれ足で背中を
踏んづけられた。
頭の後ろに銃の口の金具がごつごつあたる。
別な一人が俺の体中をはたいて身体検査する。俺は相手の靴しか見えない。
早口でどなっているのをなんとか聞き取ろうとするがほとんどがベンガル語だ。
わずかに聞き取れる単語は
「ユーアーアンダーザレスト」「ユーエクスプロシーブブドウエポンウエアハウス」てな事だ。
「ノー!、見物に来てただけだ」といいパスポートを
見せると「ユー・ジャパンレッドアーミー(日本赤軍)」って言われ後ろ手に手錠をかけた。
「私は日本赤軍ではない。ただの見学者だ。日本大使館に連絡を取ってくれ
」というと自動小銃を空に向けてパンパンと
発砲して威嚇した。
生まれて初めて銃声を生で聞いた。
映画よりもぱりぱり乾燥した音がするだ。
こうなるともう逆らう気はなくなり完全にここではいいなり。
連れとは別々の車で連行された。
基地に門を車がくぐりはずれの鉄条網で囲われた建物に連れ込まれた。
ここでは双眼鏡はもちろんベルトやサングラス、財布、パスポートの
全ての持ち物を取り上げられた。
また建設現場のIDも車に置いたままだったので事態を
ますます悪くしたんだ。
「彼らは正規軍で、日本赤軍がバックに反乱軍を
隆起させクーデターを起こした」と考え若い俺は
まさに容姿、風体が手配写真の日本赤軍の梅川なんとかという
と似ているので完全に犯罪者扱い。
留置所にぶちこまれました、そこには20畳くらいの
部屋に30人くらいつめこまれていました。
皆、階級章を取られた軍服をきていました。
まさにクーデターを起こした連中だ。
彼らが留置所に放りこまれる時、階級章を両肩と胸の記章を
ビリっと剥がされてから放り込まれる。
軍歴剥奪の行為なのだろう。
10分にひとりずつ呼ばれ狭かった部屋も
だんだん空きがでてきました。凄まじい暑さと臭いに
吐きそうになるんだ。
横になれるスペースもできてきたんだ。
中は小さな窓がひとつ、便器用のバケツがひとつ
食事はスープにパンらしきものが一切れ。
そとでパーン、と銃声がするのでまた威嚇でも
してるのかなと思ってた。
腰抜かしたのは窓の外をさっきここに一緒にいた
奴が二人の兵士に運ばれて行ったときです。
なんと銃殺されていたのでした。頭部をみたらあれ頭の
形がおかしいと思ったら
頭の頭蓋骨の一部が撃たれてなくなっているんだ。
気楽な気分は吹っ飛びました。
これは殺されるかもしれない。
監視を呼んで上官を呼んでくれるように頼んだが
笑うだけで一切無視された。
まずい、なんとかしなければ、ここで殺されてしまう。
大体1時間に1人のペースで即決裁判があり
弁護人なしでいきなり刑の執行、それも全部銃殺。
パーンパーンって音がして死体の始末。
ここに連れてこられて7時間後、やがて僕を指差し
こいと合図され両脇を抱えられて連れ出された。
頭はいろんな事を考えた。
こいつら軍人といえども食糧事情は悪くない
ここで思いっきり抵抗してほんの少しの脱走の
可能性にかけるか、それとも裁判で徹底的に
下手な英語でも弁明して容疑をはらすか、
いろんな考えが錯綜したとき、やるか、暴れるぞ
「さああ大暴れしてやる」ってきめたそのとき、廊下で建設現場の監督が
私の名前を呼んでいるのです。
俺に駆け寄った監督は「ザッツヒム!この男だ、彼は事件には
関係がない。俺が連れて帰るぞ」
と言ってくれた。
そうです。そんときはベンガル語でぜんぜんわかんなかった。
一緒に居た連れはすでに別の留置所で釈放されたようだった。
即効で釈放手続きを終え所持品を返却してもらい
命からがら基地の外へ車でたんだ。
途中で俺を捕まえた奴が悔しそうに睨んで唾を吐いた。
しかし上官はなんとも愛想がいい。
後からきいたが彼の半年分の給与の額の金で買収したらしいのだ。
基地が見えなくなったところで車をとめてもらい、
監督の車から離れたところまで行き、地面に伏せてしゃがみこんでしまった。
恐怖でしゃがみこんでしまったんだ。
地面に伏せて大声でワーワー叫んだ。
泣いた、泣いた、人がいないところへ行って泣きたかったのだ。
そして己の弱さ、無力さを思い知らされた。
そしてなんと人生や生きる事を軽んじてきた事か。
この国の人に将来の夢などありえない。明日生きているのか、
どうやって今日の食べるものを手に入れるか、それだけなのだ。
本当に目の前でさっきまで生きていた人間が殺されてただの
物体になるのをみたのでした。
目が合ったあの目が忘れられない。
俺はこの瞬間この経験で生まれ変わったんだ。
私のいままでの人生観が吹っ飛んだ瞬間だった。
そしてこの辛い経験と恥ずかしい恐怖の体験を心に蓋をして
一切人に話す事をしなかった。
だから俺が人に話すバングラディシュの経験はこの部分が省かれていた。
あまりにも心配をかけるため親にも友人にもこれだけは話していなかった。
あの時から世間の人々が怖いとか恐ろしいとかう事が俺には
あてはまらなくなった。
偉そうではではないが物理的にも精神的にも怖い物がなくなってしまったのだ。
組織、肩書き、金、そんな価値観が吹っ飛んでしまった。
親の引いたレールを走る事がなんとおろかに思えたか。
生きるって素晴らしい!
こんな情けない恥をさらしているんだ。
世界中を見回してみても「衣」「食」「住」が充実している人間の方がはるかに
少ないんだぜ。
そんな中で悩むこと。いい物を食べたい?ブランド品が欲しい?
それが幸せの物差しなんてどうかしてるぜ。
借金で苦しい?失恋した?仕事がうまくいかない?
五体満足な体があるじゃないか。
目が見える、耳が聞こえる、話ができる、自分の足で歩く事ができる。
美しい桜を見る、小鳥の鳴き声を聞く、恋人といつまでも語らう、野山を歩く、
おいしい手料理を舌で味わう、家族がいる、好きな人がいる、
こんな幸せさえなかったり失ったりする人がどれだけ世界にはいるか。
イスラエル人の親友ザミールに教わった言葉がある。
「片目を失ったら、両目が失明しなかった事を感謝し
もし両目を失ったら、両腕がまだあると感謝し、
右腕を失ったら、まだ左腕があると感謝し、
両腕を失ったら、足がまだ両方あると感謝し、
両足を失ったら、こうやって感謝する心が残っている。
そして、運命よ、私は勝ったのだと感謝する」
凄まじいけど素晴らしいプラス思考だ。
でもあえて言う、
あなたはほんとうに世界一の幸せものだ。
▲ by haruotokashiki | 2005-04-04 00:02 |
バングラデシュ
バングラディシュでの娯楽は少ない。欧米人での一番人気は
コントラクトブリッジだ。トランプ(欧米ではカードと言う)を
二組使用する頭脳ゲームだ。
俺はやった事ないけど草原でやるゴルフかな。
おそろしく安い値段でできる。
キャディは鞄持つ人、次のクラブ持つ人、大きな日傘持つ人、
ドリンク持つ人、それに拍手する人が3人くらいついても
ラウンド1000円くらいでできる。
以前にも書いたがかつて戦場だったところは地雷が残っている
事が多く、バンカーで外に出そうとばんばんたたいていたら
地雷を思いっきりなぐってしまい木っ端微塵に吹っ飛んだ
人がいた。
俺の数少ないの楽しみはダッカに来た時にダッカ唯一のホテルの
インターコンチネンタルホテルのプールで遊ぶことだった。
インターコンチネンタルと言っても大して豪華ではない。
利用しているのはほんの少しの白人がいるだけだ。
しかしプールの水深が深いところで5m位あり潜水気分が味わえるのだ。
ここのある日レストランで朝食を食べた時、ヨーグルトがあきらかに
おかしかった。
実はヨーグルトは危ないとは聞いていたがインターコンチでまさか。
実は剥かれてでてくるマンゴやフルーツ類も危ないのだ。
フルーツ自体は問題は無い。フルーツを剥くナイフが汚いのだ。
とにかく水で洗うと言う習慣がない。
水で洗う事を教えてもそこらの池で洗ってくる。
果実は自分で剥くのが一番安心できる。
普段の飲み物でも気をつけるのはボトルか缶入りのドリンクに
限るのは皆結構しっている。
カウンターで目の前で栓を抜きコップに注いでくれる。
問題はそのコップと中に入ってる氷なのだ。
氷が汚染されてるのだ。
ホテルの洗面所で歯磨きをして口をうっかりゆすいで
3日間も下痢で苦しんだ人もいる。
ヨーグルトは発酵させている食べ物だが明らかに
悪くなっていた。舌がびりびり痺れるのだ。
しかしこんな事をきにするのも最初のうちだけ。
内臓が慣れてくるとすっかり平気になってくる。
商社のトーメンの知人が日本へ帰国して
出勤したら気分が悪くなり病院へ行くとコレラと
診断され即隔離され、職場には宇宙服みたいな服を着た
消毒部隊が大勢訪れオフィスやトイレや食堂の全てを
消毒して行ったらしい。
よくバリ島や東南アジアでコレラにかかる日本人がよくいるが
欧米人でかかるやつはまずいない。
現地の医者も言っていたが日本人はどこか免疫性が弱いらしい。
原因はいろいろ考えられるが、今の日本人は子供時代、
土に泥まみれになって遊んだ経験が無いらしい。
あらゆる土壌の中の雑菌が体内に入りそれの抗体が
形成されていく。
母親が汚いといって身の回りの物を全て抗菌グッズでそろえたり
触れるもの全てを殺菌したりする環境でアスファルトやコンクリートの
中で育った子供はいざ大人になって不衛生な海外へ行くととたんに
倒れてしまう。
うちの若い社員を見ても思うのだが熱を出して寝込む回数が
月に一度はある。
俺は5年に一度位しか発熱しないのだ。
朝礼台から飛び降りただけで、友達から肩をたたかれただけで
骨折したりする子供が増えている。
近頃の若者はスタイルが良いと言われていたが最近の調査では
座高の長さが増加に転じたらしい。
学力は世界レベルでも落ちる一方。
日本の子供の未来は悪くなる一方だよ。
なんとか対策をしなければ大変だぜ。

黒い点みたいなのが見えるだろ。ハエなんだ。こんなのでもやがて
平気で食べられるようになるから不思議
▲ by haruotokashiki | 2005-01-07 00:28 |
バングラデシュ
ここでの医療事情は悲惨の一言に尽きる。
地方の医者はほとんどがニセ医者。
手術は消毒も麻酔もない。
男が4人手足をおさえる。
出血をおさえるのに土をかぶせたりするんだ。
傷口に牛の糞を塗りこむ医者もいる。
信じられない。
妊婦は大体が助産婦など無しに自宅で出産する。
臍の緒を草刈でつかっている鎌で自分で切ってしまう。
だから破傷風になる確率が異状に多い。
今まで4人産んで2人死んだなんて会話はあたりまえなんだ。
医者に来るのも診察料が払えないため怪我をしたり
かなりひどい状態になって初めて来院する。
怪我をしたのが40日も前だと言ったりする。
壊死をおこしていたり傷が完全に腐敗していたりする。
まずする事、それは傷に湧いているうじを取ることなんだ。
うじは腐食した肉を食べる肉食なのでもう骨が剥き出しになっている
ケースが多い。
異状に痩せている奴は大概は下痢か寄生虫にやられているケースが多い。
基本的にトイレットペーパーの習慣がなく左手で拭くだけだ。
クシャミをしたり鼻をかむのに手でかみそれを地面や服にこすりつけているだけ。
病院のメスは自分の服で拭って別の患者に使う。
医者が手を洗う洗面器の水は池で汲んだ濃い緑に汚れた水。
井戸のすぐ横にトイレがあったり牛の糞の置き場があったりする。
薬の処方箋をだしてもまず薬の意味が分からないし貧しいので
買いにいかない。
ならば薬を直接渡しても飲み方が分からない。
彼らは自分の名前さえ読めないし書けないのだ。
こんな現実にぶちあたる度、俺はなんとあまちゃんの受験人生を歩んできたんだろうって
思った。
これが、これが現実なんだ。

▲ by haruotokashiki | 2004-10-28 01:28 |
バングラデシュ
ここからは気が弱い人は読まないでね。
バングラディシュのジャングルでほんとに恐ろしいものは
コブラ?豹?たしかに恐ろしい。しかしここで真に恐ろしいのは
目に見えない病気や虫なのだ。
ある従業員とはなしていてそいつの目がやけにキラキラして潤んでみえるのはなぜかなって
思ってた。
ある日そいつにそう言ってみたらもっと近くで俺の目を見てみろと言う。
そしたらなんと小さな線のような虫が数匹が目の中で動いているのだ。
動物や人間の目に卵を産み付けるハエがいるのだ。その卵は目の中で孵化して
極小の幼虫になって目の中を動きまわる。
目が潤んでみえたのはそのせいだったのだ。
彼はその場でなんと楊枝をつかってそれを目からほじくりだすのだ。
ある奴は肩に小さなコブができた。それが日に日に成長していく。
膨張し皮が引っ張られ薄くなった皮の中に動くものがある。彼がナイフで
切れ目を入れた瞬間20センチくらいの長い細い幼虫がうごめいて出てきた。
俺達でも朝は履く靴にサソリなど毒虫が入っていないかどうか点検して履くように
うるさく言われたものだ。
現地の病気や虫対策は日本へ持ち帰っても打つ手はない。現地の方が昔から伝わる治療法が利く場合も多い。
マラリアはしょっちゅうかかっている。俺も原因不明の高熱にうなされたときはもう
ここで死ぬのかなって本気で思ったし寂しかったなあ。

▲ by haruotokashiki | 2004-10-25 03:54 |
バングラデシュ
ここからはかなり刺激がきついので気が弱い方は読まないでくれ。
ある日、日本へのプレゼントでサリーを探していて偶然にある商店街の通りに
通りかかった。
その通りには子供達が通行人が通る脇にずらりとたって物乞いをしている。
この光景自体別に珍しいものではない。
ふと子供ひとりひとりを見た時に俺は驚いた。全員が奇形児か奇病があるのだ。
片足だけが丸太の様に太く足の付け根から灰色になり皮膚が固まっているのだ。
「象皮病」という象の足みたいに皮膚が変質する。曲げる事もできない。
松葉杖をついていた。
目が真ん中にひとつだけの子供がいた。
口の顎が割れてよだれが流れっぱなしになってる子供がいた。
脇からもう二本の腕が左右に生えていて4本の手で物乞いをしている
子供には人だかりができていた。
指が多い、足りない、背骨が曲がっているなんて不通にいる。
かえるみたいに目が離れている子供もいる。
皆がここにあつまり物乞いをする通りで有名らしい。
そして彼らが皆それでもくったくのない笑顔を絶やさないのだ。
しかし同じ生をこの世に受けながらこんな宿命を背負背負わなければ
ならなかった彼らが可愛そうで可愛そうで涙が止まらなかった。
五体満足に生まれ日本という先進国に生まれ環境に恵まれて
育った自分の人生に果たして不満や文句など語っていいのだろうか
と思った。
身体を締め付けられるような憐憫と感謝の感情でその夜は眠る事ができ
なかった。

▲ by haruotokashiki | 2004-10-19 12:16 |
バングラデシュ
バングラディシュでは建設現場の監督の家に他の労働者たちと
招かれた。
日本で言う粗末なバラックをややましにしたような家だが
土台がモルタルだからまだまし。これでも高級住宅なんだ。
家には奥さんもいるがサリーを羽織り顔まで隠している。
とにかく目だけ出してそして旦那以外とはしゃべらない。
料理は運んでくれるが決して同席して歓談したりなどしない。
とにかく徹底した男尊女卑なのだ。
これはイスラム教全般にいえる事だ。
簡単に子供の頭を撫でてはいけないんだ。頭には神がいて
神聖なものと考えられている。
こちらの人間は左手をとにかく嫌う。不浄な手として考えている。
左利きなど考えられないのだ。
理由はこちらはトイレで用を足したあと左手で拭くからなんだ。
それを葉っぱで拭くだけだからだ。
もちろんインテリ層や外国人はトイレットペーパーを使うが
そういう習慣が残っている。
出された料理は最高に豪華でも大きな皿に3品位。ほとんどがカレー風味。
豚はご法度。牛も食べられるが特別な血の抜き方をした肉でないと
イスラム教徒は食べない。
しかしバングラディシュではめったに手に入らない。
シシカバブ(羊のBBQ)とチャパティ(具なしのお好み焼)とカレーチャーハン。
そして手づかみで食べる。右手を指を内側に曲げて大きなスプーンみたいにして食べるんだ。皆の手が一斉に伸びるのには最初は面食らうがだんだん慣れてくるもんだ。
彼らはアルコールは一切口にしない。
もちろん煙草もやらない。実にストイックだ。
現場でいつも休み時間で盛り上がるのは日本で言う腕相撲なんだ。
しかしこの国の連中は細い連中ばかりで力の弱いやつばかりなのだ。
だから日本でさえ腕自慢の俺は彼らは敵ではなかった。
彼らの一番強い男でさえ2秒で破った。
それだけじゃない。全従業員を並べて次から次に休みなしに試合をして
全部まとめて負かした事もあった。
そのころ空手をかじっていたこともあってブロックを手で割って見せたことも
あった。彼らは口をパクパクして唖然としていたもんだった。
力を見せ付けるのは言う事を聞かせるには一番だった。
いつか現場の近所で大蛇に襲われて絞め殺された男がいた。大蛇は殺した
男をなんと足から飲み込みはじめ胸まで飲み込んだところで発見されたらしい。
こちらの人間はそれくらい肩幅が狭く細いのだ。
蛇と言えばよく現場にコブラの蛇使いが来たものだった。
それもキングコブラなのだ。
コブラを叩いて怒らせて寸前のところでかわすなんてハラハラするショーを見せてくれる。
終わった後、俺がポケットからクシャクシャのお金の札を渡した。すると真っ青になった俺の助手がその蛇使いに
食ってかかったのだ。
蛇使いも猛然と言い返している。凄まじい口論だ。
やがて意味が分かった。こちらの国の一ケ月の給与は日本円にして500円くらい。
俺はその蛇使いに日本円で5000円位の現地の通貨のタカを渡してしまったのだ。
現地人にとってはとんでもないお金だったのだ。
助手は俺が渡すのを見て間違って渡すのを見て取り返そうとしてくれたのだ。
やっと意味が理解できた俺もミスだったのだすまないと謝りやっと取り返す事ができた。
俺もしかしばかな事をしたもんだった。
下の写真の人力車はここのタクシーだ。
しかしうっかり乗るとボタン位の大きさの何かがぞろぞろ座席を動く。
これがダニなんだ。
あっという間に刺されて足に機関銃で撃たれてみたいに刺された1センチ位
穴みたいにが10個くらいあいたっけな。
しかしこの国の思い出は尽きない。



▲ by haruotokashiki | 2004-10-19 00:57 |
バングラデシュ
密林を切り開きアグリカルチャーリサーチセンター建設が
俺がバングラディシュで働いた場所だった。
機材の搬入や建設材料の通関と運搬と従業員の
食料と飲料水の確保が役目だ。
とくにやっかいなのが思い飲料水を井戸から運ぶのが事だった。
それによくこの井戸が枯れるし水はいつも濁っている。
そこでついに前々から計画を実行に移す事にした。
給水塔を建てる事にしたのだ。雨の時に水を蓄え常時水が
飲めるようにするのが目的だ。
まだ図面は素人だったが幸いドラフターがあったので見よう見真似で
設計図を引いてみた。
そして何度も何度も引きなおして技術者の意見も聞いて図面を完成させた。
一番上の給水槽は横が48角形になった。高さは約15m。
足組みは6本にした。モルタルで土台はがっちり固める。
クレーンなど無い。だから骨組みは全て大勢の人力だ。
ロープをかけて大勢で引っ張って足を起き上がらせるのだ。
ひとつのロープを30人くらいで引くんだ。ベンガル語で掛け声かけている。
高い所から見渡すとまるでピラミッドを作っているような光景だ。
あるときロープが突然切れた。大勢が一斉に後ろにもんどりかえった。
すると柱は反対側に倒れ手で支えていて逃げ送れた一人の男の手の平に
柱が倒れ込んで手を潰してしまったのだ。
凄まじい悲鳴が上がった。皆がかけよった。
切断はされていないが手が平たく潰れている。実は怪我は潰れた傷は
直りにくいらしいのは聞いていた。
救急車などこの国には無い。すぐにジープで病院へ運ばせた。
それでも片道1時間はかかる。それもバラックの病院だ。
家族に連絡に走らせた。実に気の毒な事をした。
直ってくれひたすらそれを願った。
その事故で全ての安全基準を見直した。俺は親父が常々安全を口がすっぱくなるくらい
繰り返していたのを思いだした。
あの頃はうるさい親父だなと思っていたが事故が起こると初めて親父の言っていた言葉が
心に刺さった。
彼と彼の家族に詫びても詫びても足らないくらいだった。
そして工事は再開した。やがてりっぱな給水塔が完成した。
その給水塔の水を早くとにかく早く飲んでみたかった。
雨季には夕方必ず凄まじい雨が降る。1m先も見えない位の雨だ。
やがて槽の横の水位を表示する目盛りがぐんぐん上がってきた。
槽は満タンになった。洩れは多少あるものの修理はパテで効く。
やがて雨は止んだ。その水を飲んで見た。透明なすけるような水だ。
こんな水はここでは宝石にも等しい。
その水を水筒につめ手を怪我した彼の家に届けた。家族に飲んでもらいたかったのだ。
奥さんや家族は手を合わせて感謝してくれた。
もうこれで水に苦労する事はない。
この塔は当時ダッカで一番高い建物だと言われた事があった。(真意は定かでない)
その後、その塔には俺の名前が付いたって聞いたけど
あの塔、まだ残っているだろうかなあ。


▲ by haruotokashiki | 2004-10-15 23:42 |
バングラデシュ
バングラディシュでの日本人は商社かゼネコンの人間とあと農業指導員位しか
いなかった。
そして会った日本人は全てこのバングラディシュが嫌いでとにかく早く日本へ帰りたい
日本へ帰りたいばかり言っていた。
俺の滞在中も事件はよく起きた。商社マンが自殺するのだ。
大体が3年から4年単位で駐在命令が出る。毎年その駐在の期限が迫ると
帰国命令をとにかく心待ちにする。
当時は国際電話など申し込んでも繋がるのは5時間後だったりする。
それも雨が降ったら不通になる信じられないものだった。
唯一の本国の本社と繋がっている通信手段がテレックスなんだ。
任期の終了が近づくとまるで刑務所の刑期が終わるような感じだ。
本人は当然帰国命令がでると思っているところへある日
「もう4年駐在を命ず」とテレックスで一行だけ連絡が入る。
その落ち込みたるや大変なものだ。見ていて哀れだ。大酒を飲み暴れて
家具を壊してしまう。鬱やノイローゼにかかってしまう。
下手に現地の言葉をマスターしようものなら永遠に日本へ帰してもらえない
危険がある。
だから意識して現地語は覚えないようにしている。
そんな時絶望して自殺してしまうのだ。この国はやわな日本人の神経では
耐えられない国なのだ。
しかし俺は思った。若い頃海外で仕事で活躍するのは「男子の本懐」では
ないのだろうか。
俺はこの「男子の本懐」と言う言葉が大好きだ。
この国にいる日本人はいつも日本を向いて仕事をしている。
日本へ帰ることしか頭に無い。そんなに帰りたければ会社を辞めればいいだろうと思う。
でもそんな正常な心理回路さえおかしくしてしまう国なのだ。
ある日、商社マンの部長夫妻と部下夫妻が部長宅で食事をしていた。
部長がどこからか手に入れた拳銃を見せて自慢していた。
ふとしたはずみで拳銃がなんと暴発した。
弾は部下の奥さんの胸を貫通した。急いで病院へ運ぶも既にこと切れていた。
上司の拳銃で妻を目の前で撃ち殺された気持ちは想像するに心が痛んだ。
ある商社マンは破傷風になった。これは外部からの刺激に敏感になり光や音が
凄まじいショックとなり悶え苦しむ。
医者はワクチンを打った。ところが破傷風は治まったがそのワクチンが品質が悪く
その商社マンは両目を失明してしまった。
なんと言う悲劇だろう。家族が迎えに来た時彼は泣き叫んでいた。
辛かった。
この国の日本人の悲劇のニュースには事かかない。
なんと言う国に俺は来てしまったのだろう。
しかしもう引き返す事はできなかった。
▲ by haruotokashiki | 2004-10-12 09:07 |
バングラデシュ