マウント富士ヒルクライム自転車レース 完走!
6月11日午前2時に河口湖に到着。
レースの駐車場オープンまでちょっと車中で仮眠を取る。
目覚めると雨がフロントガラスを叩いているではないか。
確か予報では「快晴、最高気温29度」だったはず。
計測チップを自転車に取り付けゼッケンを左脇とヘルメットに
貼る。エアを8バールにしていつも常備しているサドルバックの予備のチューブと
ボンベや工具を全て降ろす。
いつもは2本のボトルも一本にする。
ヒルクライムレースは長距離レースとは全く趣が違いとにかく軽量化、
軽量化しなければならない。
中には安全性を犠牲にしても少しでも軽くするために
前のブレーキを外してしまう奴もいる。
2週間前の佐渡島ロングライド210キロに比べて今回はたったの24キロ。
時間も短い。一見楽そうだ。しかしそれはとんでもない間違いだと気付く。
登れど登れど永遠に坂なのだ。「きつい坂」と「まあきつい坂」が交互に
襲ってくる。
一息つける平地や下り坂が一切ないのだ。
参加者が佐渡島1030人対して富士は3722人。
日本最大級の自転車イベントなのだ。
スタート地点の北麓公園の盛り上がりようはすごい。
200人程に分けてスタートが切られ自分の番が周って来たのは
20分ほどしてからだった。
スタート前に雨の中不動で立って1時間半も待ったので身体は
すっかり濡れてきている。
とにかく端役走って体温を上げたい。そればかり願っていた。
スタート地点から1.3キロをパレード走行しいよいよ計測開始地点を
通過する。
「しまった!」
走り始めて1キロも行かないのにこのレースに出場したのをいきなり
後悔した。上り坂に身体がいきなり悲鳴をあげたのだ。
呼吸と心臓がピークにあがりきりドカンと来る苦しさがいきなり来た。
しかし落ち着いて考えてみた。これは俺の体の特徴なのだ。
レースの序盤で必ず凄まじい苦しみの洗礼を受ける。
しかし15分も過ぎると徐々に楽になってくるのだ。
俺はレースの直前は激しいトレーニングはせず、運動不足の身体が
運動を浴してだるい不快感を覚える状態で、運動したくて運動したくて
たまらない身体にご褒美を与える感覚でレースを身体にプレゼント
するのだ。
この初期の苦しさは言わば身体が驚いて悲鳴を上げている状態なのだ。
これでくじけるのはアホだ。
しかし苦しい最中は不安もよぎる。「もしかして俺の体は坂の連続に
耐えられないのではないだろうか?」と。
打ちつけまるで振り下ろす様に身体に雨が打ちつける。
小さな小さな金槌で身体を打たれているようだ。
スバルラインと言う有料道路を閉鎖して行われる。
直線の長い坂が見えた時、数え切れないほどの選手の背中が
一斉に見える様に感動を覚える。
これだけの人間がここに集い富士山を登る一つの同じ目標を
目指す。
人数にして道路幅が狭いのかあちこちで接触が起き転倒が
起きて負傷するものが続出している。
耐久レースは鼻呼吸がいいのは分かっていてもついつい
口呼吸になってしまう。
雨はシューズの中にも入り込みペダルを下に漕ぐ度に
水がシューズから飛び出る。
水を浴びてるなんて状態ではなくまるで準水中レースのようだ。
身体中もう濡れていない場所は探してもどこにもない。
スノボードもそうだがスピード系の競技は視線をできるだけ
遠くに置くことを目指す。
ところがこのレースは視線を遠くに置くと凄まじい坂が永遠と
続き絶望感に似た感覚が襲ってくるのだ。
佐渡島の坂はたとえまやかしでもその坂の曲がり角の先は
きっと下り坂だとかあそこまで頑張れば後は楽だぞとか
心に褒美を作って漕ぐ事ができる。
例えそれが実は登り坂でもいいのだ。そこまでは登ってきて
しまっているのだから。
このレースはそうやって自分を騙す事さえできない。
視線を真下の前輪に落とす。ひたすら漕ぎながら前輪を見つめて
いると前輪の中心部のボントレガーというブランドの「B」のマークが
まるで印刷機の輪転機のように現われては消え、現われては消える
様子を見つめて苦しさを忘れようとする。
距離メーターで全24キロを心の中で4分割して6キロ、12キロ、18キロ、
と目標を決めてそれぞれを目指すのだ。
走っているときの楽しみはこの距離の数字が上がって行く事だけ。
俺はこれを自分の会社の売上や貯金が増えているんだと考える
事にしている。少しは楽しい気持ちにさせてくれる。
2合目あたりを過ぎると数メートル先も見えない霧になる。
英語ではこの位の霧を「まるでコーンスープの中みたい」によく例える。
延々とある登り坂見ないで済む分楽にはなったが
次のコースが右に曲がるのか左に曲がるのかが見当がつかない。
雨は相変わらずおさまらない。
このレースの特徴は富士山の雄大な景色を楽しめるところ。
そんな景色などどこにあるというのだ。
自転車雑誌のこのレースの攻略方として道の中でも
比較的勾配が緩い所を選んで走るといいとあったが
実際走ってみるとそんなのどうでも良くなってくる。
抜かれもするが抜いたりもする。歩いている人、コースマーシャル
スタッフのところで毛布に包まれて動かないもの、
自転車をひっくりかえして修理しているもの、綺麗にスタートしていた
人々に悲喜こもごもな様子が見てとれる。
サングラスやチョコバーが落ちている。走行中水分を補給するために
走りながらボトルを取り出し飲み終わってボトルホルダーに戻そうとしたとき
うっかり道に落としてしまった。
自転車を止めすぐに拾いに行ったがなんとボトルは坂道をコロコロと
ずーっと転げ落ちマンガみたいにそれを必死で追いかける俺の姿は
きっと情けなかったろうな。
皆が必死で漕いでいると自分も頑張れるのだが誰かが自転車を降りて
押して歩いている姿が目に入ってしまうと自分の中で頑張りの緊張の
糸がプツンと音をたてて切れて自分も歩きたくなってしまう。
実際歩いた。しかしちょっと歩くだけで足は急速に回復しまた乗って
元気よくリカバーできるのだ。
横からの突風でアスファルトからコースアウトしてしまう。
霧、雨の上に風と寒さが襲ってきた。
身体は太股の疲労と共に寒さの洗礼を受ける。
濡れているだけなら運動による発汗でちょうどちゃらだが
風で吹かれると体感温度は8度は下がる。
ゴール地点の5合目は気温5度だ。
エイドステーションで水の補給だけ済ませてすぐに出発する。
冷えが襲ってくるからだ。これ俺だから絶えられるんだろうなと
自負する。雨具なしで。
18キロ地点で横の選手と会話する。「19キロ地点から20キロまで
凄まじい坂があってそれが済むと後は楽な坂で一気にゴールできる
はずです」って聞いた。
この言葉にどれだけ励まされたか知れない。
もうとっくにカラッポだと思っていた自分の中のエネルギーだが
非常用の予備タンクがあってそれをこの坂に使用する意気込みだ。
そしてそれは襲ってきた。くねくねと曲がる急坂が連続で続くのだ。
バランスを崩すと太股が疲労しているのでビンディングから
足が離れず転倒してしまいそうになるのをこらえる。
乗り越えた坂が終わった。そして緩い坂に変わった。
あと4キロだ。
走っている途中は「完走できるだろうか」との葛藤。
レース半ばを過ぎると「完走は間違いなくできる」という自信に変わる。
そして「制限時間内にゴールできるか」に不安チャンネルは合わさる。
走っている間中心配しているのだ。
あと1キロの地点で信じられない事が、また急な坂が現われたのだ。
もうもう力は残っていない。惰性でペダルを回すだけの力しか残っていない。
いや、回るペダルに足を添えるだけだ。
話が違うぜ。
背中のポケットをさぐるとハチミツのエネルギードリンクが残っていた。
それを一本搾り出すようにして丸呑みした。
そして地上の全てのエネルギーが太股に降臨するようにイメージした。
ポパイがほうれん草を食べて変身するように。
1回転1回転ごとにまるで作品のように綺麗な円を心で描いて
押すと引き上げるだけではなく回転のエネルギーを作った。
ゴールはそろそろ見えてもいいころだが影も形も見えない。
大勢のスタッフや先にゴールした選手達が皆声援を送ってくれる。
「あと少し!」「頑張れ!」「よくやった、もうちょい!」「あとひと息!」
そのひとつひとうに「ありがとう」と返す。
熱いものが込み上げてきた。トンネルを抜けると真っ白なゴールの
アーチが確かに見えた。
あと100m。大勢のスタッフの拍手の中、感動のゴール!



レース後、スバルラインはまた午後には車専用道路になるために我々選手は休む間もなく
往きにきたコースを帰らなければならない。
実はレース中何が楽しみかってこの下りを自転車で走る事だ。
しかしそれはとんでもなかった。
スピードは最高50キロにもなる。雨は弾丸のように顔や身体を襲う。
エンジンブレーキなど自転車にないから原則はブレーキ、歯ブラシみたいな
小さな前後4枚のブレーキシューに頼るしかない。
見ているとブレーキを多用するためシューがみるみる薄くなり横に熱で解けて
平べったくなっていく。
ブレーキがだんだん効かなくなってきた。
でもこのスピードで降りても降りてもなかなか到着しない。
この坂を坂たちをおれは今さっきまでおっちらおっちら登って
来たのだと思うと感動は凄まじいものがある。
そして遂に1合目のスタート地点へ戻る。
雨、霧、風は最後までおさまらなかった。
距離は決して長くはないがここまで身体に負担のかかるレースはなかったろう。
毎回レースの後に思う。この達成感の快感はほんとに「クセ」になる。
本当の快楽とは苦痛の向こう側にあるものなのだ。
それが俺が自転車スポーツから学んだ人生訓だ。
先輩は俺より1時間以上も早くゴールしていた。先輩の異常な体力には
まだまだ付いていけない。
この自転車の喜びを教えてくれた先輩に心から感謝。




佐渡島一周210キロの自転車レースに出場し見事完走できた。
参加台数1030台。午前6時スタート。
景色を楽しめるレースと聞いていたが鉛色の空と海と道路は
パンフレットを見て想像していたのとはどうも違う。
島の人々が沿道で拍手と声援を受けて自分のモチベーションも
ライズアップしていく。
一ケ月前、雑誌「サイクルスポーツ」の編集部の松本さんに
このレースに出場する予定だと話したところ、佐渡ロングライドは
激坂が多いので有名でかなりきついレースだよっておどかされた
記憶があった。
スタート時はパラパラ降る程度の雨が天の底が抜けたのではないかと
いう位の雨にいきなり変わった。
どうせ汗をかくのだから同じと雨具を用意しなかった俺は芯までずぶ濡れ。
それは容赦なく体温を奪ってくる。
サングラスにワイパーが欲しいくらいに前が見えない。それにやがて風が
加わりそして登り坂が行く手を阻んでくる。
まるで滝に打たれる修行僧の気分だ。ただ合唱して立っていればいい修行僧と
違うのは俺はペダルを漕がなければならない事だ。
10秒に一度は指でサングラスを拭う。
コース上にあるエイドステーションでICチップの通過チェックを受ける。
バナナとエネルギーゼリーを瞬間で頬張りボトルに水を補給しすぐに出発する。
自転車の長距離レースのコツは休まない事なんだ。
全力で活動する筋肉をいったん休めるとまたエンジンをかけるのに暖気が
必要になってしまうのだ。
まあ濡れきった身体で30秒もすると凍えてくる。いやがおうでも自転車に
飛び乗って漕ぎまくって温まるしか術はない。
喉が渇けば口を開ければ雨水が飛び込んでくるのでそれを飲めばボトルの
水がいっこうに減らない。
55キロ地点のエイドステーションから目の前に山が海岸線に聳えるように
現われた。その自然の美しさに一瞬見とれていると細い線のように見える。
まるでアルファベットの「Z」に見える。
ここが前半で最大の山場、難関と言われるZ坂がこれだ。
正直、自分が車やバイクだとしてもできれば登りたくないなって
思う斜度が延々と続くのだ。
それは俺は今から自転車であの遥か彼方の頂上を越えなければならないのだ。
やがてペダルは岩のように重くなり巨人に自転車をむんずと掴まれた錯覚に
陥る。それまで平均25キロ、最高速度60キロでタイムを稼いだ貯金は
一気に崩れてしまい速度は6キロ程度まで落ちてしまう。
今まで流れるように飛ぶように走れていた動画の景色はスティル写真の
ようにとまってしまった。
目の前の50センチ先の道路を見つめ心拍の鼓動と呼吸数がもう
人間としてはこれ以上上がりようが無いって思う限界を味わった
あと頂きのコーナーのカーブミラーが見えて来た。
我に帰って来た道を振り返って見る。
ジグザグの登り坂がだんだん小さくなる音波の波形のように見える。
さっきまでいた55キロのエイドステーションが豆粒のように見える。
半円形の入江全体が見渡せ波が風で砕かれ白飛沫をあげる様は
雄大で力強かった。
苦労して登りきった感激が美しい景色を一層際立たせてくれる。
ボトルの水を自分への褒美のように喉へ流しこんだ。
いくつもの入江を過ぎながら中程度の山を登りそして下り入江、漁村
また山上り下り入江と繰り返す。
途中岩と海岸が美しい自然のオブジェを作り上げて思わず見とれるが
眺めて悦に浸っている時間はない。
雨は定期的にスコールの様に襲ってくる。100キロ地点のエイドステーションに
到着すると50人位の選手がテントに行列をしている。
俺はこれを通過チェック手続きかと思い一緒に並んだ。
よく見ると皆がサインをしてICチップを返却しているではないか。
一緒に並んでる人に何の行列か聞いてみた。
「リタイヤ」の行列だったのだ。
もう観光バスが待機している。救護所では毛布に包まれて動かない人、
凍えている人様々だ。
俺はすぐに列を離れボトルの水の補給を済ませ自転車を起こして
地面を蹴って再びスタートした。
佐渡島くんだり来てむざむざリタイヤできるか。
マシントラブルならいざ知らず己の身体でのリタイヤは後悔する。
129キロ地点、147キロ地点そして170キロ地点の最後の
エイドステーションに到着した。
ここからがとどめのこのコース最大の山場と言われる激坂が3つ連続で
続く。195キロ地点までだ。
ボランティアのマッサージを受けて自転車のエンジンで大腿筋にテーピングを
してもらう。ストレッチをしてエネルギードリンク1本を飲みきって
闘志を燃やす。
全身に地上の全エネルギーが今俺に乗り移ったんだと言い聞かせる。
エイドステーションのスタッフが皆拍手で送り出してくれる。
10キロほど走ったところで旗を振ってスタッフが誘導してくれる道に入ると
これが直線で巨大なミサイルの発射台のような坂が現われた。
遂に遂に来た。勢いよく登っていたのも5分程、180キロ走りきった身体に
この坂はとどめのように効いてくる。
速度は4キロ程度に落ち前輪がフラフラと蛇行を始める。
広い坂が終わり道がカーブしている。
こんな時にいつも考えるのはいつも同じ。このコーナーの先は
きっときっと下り坂だ。あともう少しだ!あとひと踏ん張り!
やがてコーナーの先が見えてきて期待は絶望と変わる。
その先に広がるのは壁を少し寝かせた程度のウルトラ激坂。
行き交う車でさえもローギアで悲鳴のようにエンジンの回転数を上げて
登っていく。ダンシングでサドルから腰を離して漕ぐ。
しかしダンシングは覿面に体力を奪っていく。
ペダルにシューズを固定するビンディングを使っている俺は一旦
ふらつくと制御が利かず大転倒を起こしてしまう。
心臓は火の見櫓の早鐘のように鼓動を打つ。早すぎて鼓動が一つの長い
音に聞こえる。口は全開きあたりの酸素を全て吸い尽くす勢いで呼吸する。
もう一人の自分がいれば後ろから押して、もう一人の自分がいればロープで
引っ張り上げてやりたいと想像した。
そして格闘の末やっと下り。ここで下りも足を休ませないで重いギアを
思いっ切り漕ぎ次の坂の幾分かまで勢いで稼ぐのが方法だ。
しかし下りがヘアピンカーブの連続でブレーキを多様せねばならず
ちっとも上りの借りを返せない。
心臓が口から飛び出しそうになる錯覚をおさえながら自分の太股に手をあてて
念を送る。ゲーテに準えて呟く。「もっと力を」と。
そしてこのレース最後の頂を越えた。
あと20キロは海岸線の平地のみだ。その景色がまるで今までの苦労を
祝福してくれるかのように包み込むように身体に極上の疲労感を与えて
くれる。不思議なものであと100キロは余裕で走れるかもと思えてきた。
街中を抜けてスタッフの誘導を受けていよいよゴールの大きな白いアーチが見えてきた。
沿道には大勢の人が拍手とねぎらいと祝福の言葉を全身浴びるように。
DJの実況がスピーカーから聞こえてくる。
手を上げてアーチをくぐる。
いつも俺は思う。レースの最中「これでレースは終わりにしよう。ルールに
縛られずもっと自由に楽しく走ろう」と。
しかし走り終わった後に込み上げてくる達成感、充実感、自分の体力の明かし、
心地よい筋肉痛、全てが例えようの無い金銭で決して買えない自分との
戦いの勝利の快感はやめられないのだ。
次回は二週間後の富士マウントヒルクライムレースだ。
上り坂だけのレースに挑戦だ。
スポーツって素晴らしいぜ!


完走証明書だ。完走証明書が版画なのは初めてだった。
佐渡島の人は皆親切で優しかった。
しかし佐渡島と新潟のフェリーが往復32000円は凄まじいな。
これじゃ観光客来るなって言ってるみたいだぜ。
ごみだらけの海岸、晴れていても鉛色の海と空。
はっきり言って観光で来ようなどとはぜったい思わない場所だった。
毎回思うのだが自転車レースは年齢層が実に広い。上は80歳をも越えていた。
スーパーお爺さんがもの凄い勢いでペダルを回す光景は驚異だ。
老化のスピードとはこうも人によって違うのか。
坂での瞬発力、平地での持久力は脱落が続出した20代と比べても
なんら遜色がない。
腰が曲がったそのままの姿勢でドロップハンドルの自転車を漕ぎまくって
いるのではないかと思ってしまうぜ。
この年齢では杖や車椅子、寝たきりになって介護を受けてる人もいれば
この過酷な210キロを悪天候、悪条件の中、走りきるスーパーお爺さんも
確実に存在するのだ。
俺とほぼ調子を合わせて走っていたのが72歳の小柄なお爺さん。
丸いべっ甲眼鏡をかけて首にタオルを巻いている以外はヘルメットも
スーツも皆と変わりはない。
最後のエイドステーションではマッサージを受けている最中に眠り込んで
いびきまでかいていたがあわてて起きていた。
坂ではガンガンダンシングして登る。しかしコーナーの先がさらに上り坂で
あった事が分かった時、「ひえー!」と失望の絶叫をあげる様は実に愛らしいのだ。
石垣島の市役所と仲がいいのですぐに同様の自転車レースを提案した。
石垣島にはトライアスロンの大会しかないのだ。
佐渡島と石垣島。自転車乗りがレースするならどちらを選ぶかは火をみるより
あきらかだよな。
Way To GO ! and I made it !
1月にロードバイク自転車で200キロレースを完走!
その完走の証(全部フランス語)のメダルが届いた。
朝7時出発、12時間40分ほとんど漕ぎっぱなしだった。
前半の第一チェックポイントの60キロ地点までは
かなりのスピードで飛ばす事ができたが
100キロ地点の折り返し地点からサドルの痛みと
太股の筋肉が悲鳴をあげ始めた。
ゴールまでの最後の50キロは杭を打ち込まれて
いるようなシャープペインが太股を襲ってきた。
頭を巡るのは「辛い、だめだ。もうやめよう」という
気持ちと「これを乗り切れば、もう自分に乗り越えられない壁などない」という
気持ちとの葛藤。
まさに「ビジネス」と同じ。
一緒に走ってくれた先輩の叱咤激励の
おかげで完走できた。
夜、吹きすさぶ寒さの中、凍える両手の手の平で挟むように
飲んだ先輩の手渡してくれた温かい缶コーンポタージュは
あのパリの「ミシェルブラン」やNYの「ブーレー」などのフレンチレストランも
足元に及ばない美味さだった。
以前聞いた言葉が蘇った。
「涙で濡らしたしょっぱいパンのあの時の美味しさを決して忘れない」と。
ちっとでも口に合わないものがレストランで出てくると機嫌が悪くなるやつがいる。
美味しいものを探すのは楽しい。しかし食べられる事への感謝と感動を決して
忘れてはいけないぜ。
