ロッキー青木さん8からの続き・・・・
モスクワから気球で飛立ち、シベリアの上空を飛んで
日本へ着陸する計画だった。
当時はバリバリの鉄のカーテンの向こう側。
ソビエト連邦だ。そして大韓航空機の民間機を
領空侵犯の疑いで撃墜する国だ。
まずそんな挑戦にソビエト政府が許可するわけがないし
また例え許可されたとしても命令指揮系統の不備から
領空侵犯機と判断され撃墜される危険は大いにある。
ロッキーさんの話を聞いてみることにした。
当時書記長は新鋭のゴルバチョフでありかなりペレストロイカが
進んでいた。
そしてゴルバチョフの政権安定の基盤は西側との和平にあった。
SS20のミサイル削減交渉をレーガンとグリーンランドで行った時に交渉後の記者会見で合意点がなかったと発表された。
一見交渉は決裂したように見えたが決裂の意味が違ったのだ。
アメリカはもちろん大幅な削減案を提案したのに対し
ゴルバチョフは全面撤廃を提案してきたのだ。
これにアメリカは仰天し、そしてそれに応えるオプションを用意して
いなかったのだ。
それくらい西側への接近は顕著だった。
そしてイギリスのバージングループの創立者のリチャード・ブランソンは
ゴルバチョフ書記長と懇意だった。
そしてブランソンはロッキーさんと友人の間柄なのだ。
ブランソンの仲介で必ずゴルバチョフからの許可は取り付ける事が
できるというのだ。
そして許可がでればコースを特定してコース近辺の基地に
気球通過の御達しが出れば危険は無いという。
ロッキーさんが拡げた地図には赤鉛筆で無数の書き込みがなされている。
しかし俺はそのコースを見てやや心配になった。コースが南側すぎるのだ。
300キロ余裕を取ってあるとはいえ、もし風で南に流されたら
中国の国境を越える可能性があるのだ。
前門の虎、後門の狼状態だ。
「ロッキーさんソビエトから中国に空から侵入するってへたすると
ソ連と中国の戦争の火種になりませんか。これやばいと思います」
と言った。
ロッキーさんは「中国には中国に別なルートで話をつけようと思うってるんだ。むしろ俺はこの気球は平和の使者となれるような気がするんだ。」
という。
俺は心配ながらもそれ以上は言えなかった。
ビクターの社長と懇意なロッキーさんが頼めばスポンサーには着いてくれるらしい。
さらに計画発表時に記者会見でモスクワ市民に向けて二つの約束を
する。ひとつは出発時のイベントを日本とアメリカとソ連と中国の共同平和イベントとすること。
ふたつはモスクワにレストラン ベニハナ モスクワ店をオープンする事。
壮大な計画だった。俺はこれが実現したら世界情勢に与える影響はすごいものになると思った。
国境を越えた上空通過の打ち合わせは新たな対話の機会を作る。
そしてその一翼を担えるのならこんな
嬉しいことはないと思った。
なによりもあのロッキーさんが俺にこの計画を話してくれたのが嬉しかった。
続く・・・・・