例えば書類に「昭和57年から平成13年まで○○会社で営業の仕事をしておりました。」
とあったとする。
さてこの人は○○会社で何年営業の仕事をしていたのでしょう?
中古車を購入しようとする時、車の車検証を見る。
初年度登録は昭和62製造の車だと書いてある。ではこの車は何年前の車でしょうか?
親の生年月日が言えても、じゃ今親は何歳なのだってのがさっぱり計算できない。
この年号を使う不便さはいったい何なのだ。
役所の書類、行政の書類は全て「昭和」、「平成」の年号を使用するし
それを強制する。
我々は心の中で「今年は昭和で言うと昭和80年」と暗記しておかないといけないのだ。
お上よ、いい加減にしろよ。人間の生き死にで年号が変わっていく不便さを
国民に押し付けるのはとんでもないぜ。
西暦年号早見便利表なるサイトが重宝されていると言う。
おかしくないか。
もし現在の天皇が亡くなったらまた新しい年号が出現し「昭和」「平成」「なんとか」で
社会システムは大混乱をきたすだろう。
司法の要である裁判所もついにこの年号の不便さに悲鳴をあげ近年書類に西暦の
使用を認めた。
お上は何時いかなる時も天皇への尊敬の心を忘れないようにとのことから
年号の使用を押し付けるのは時代錯誤もはなはだしい。
本来日常生活やビジネスで数字の持つ意味は数字独自のピンポイントとターム(期間)の計算のしやすさが一番必要とされるはずだ。
黒舟が浦賀に来航した時は嘉永6年とある。
さてこの日本を騒がせた黒舟来航とアメリカの南北戦争開戦はどうちらが先だか
知る人は少ない。
黒舟来航は1853年、南北戦争開戦は1861年だ。
タイタニック号が処女航海で沈没したのは1912年だ。
じゃそれが日本では明治なのか大正なのか昭和なのか即座に答えられる人は少ないだろう。
正解は明治45年であり大正元年なのだ。
日本と世界の近代史を学ぼうと思ったら年号と西暦をダブルで暗記するか計算をいちいち
するはめになる。
第一次大戦開戦を年号で言えるか?
西暦は1914年で大正3年なのだ。
年号の最後と次の年号の初年が重なるのがまた大変なんだ。
いいかい。歴史を年号数字で表現する事がどれだけワールドワイドな見方を
阻害するか、歴史の立体的な面白さをころしているかお上は考えた事があるのだろうか。
子供達に対して本当の歴史のロマンを面白さを教えることなく数字の暗記だけに
走らせてただの受験の道具にしてしまったお上の功罪は大きい。
いつぞや会社の飲み会で俺の会社の若い営業の女性が言っていた。
「吉良上野之介邸に討ち入りをしたのは新撰組でしたよね」って。
断っておくが彼女は世間でいういい大学を卒業してバリバリ仕事をこなす女性だ。
この国の教育はどうなっているのか。
いったいこの年号を使用させる事に何の意味があるのだろうか。
ちなみに現在の俺の会社では社内書類は全て西暦使用を命じている。
世の中の当たり前に行われている慣習も皆は「おかしいな」「どうしてだろう」と
いう感覚をいつも持っていて欲しいぜ。