1964年 シドニー・ルメット監督 ヘンリー・フォンダ
早朝5時30分、アラスカのアンカレッジの空軍基地から
グレーディ大佐率いる爆撃機の編隊が巡回飛行に飛び立った。
冷戦時代は常に24時間常に核爆弾を搭載した爆撃機が
ソ連哨戒にあたっていた。
そしてその頃、オマハの戦略空軍司令部では、
ボーガン将軍の案内でラスコブ上院議員が、
内部を見学していた。
飛行中のグレーディ機編隊に突然機械による指令が入った。
「指令、目標モスクワ」
安全装置が故障し、間違った指令を機械が発信してしまったのだ。
そして、グレーディ隊の5機はついにフェイル・セイフ・ポイントを越え、
ソ連領内に侵入。
フェイル・セイフとは進行制限地点のことで、ここを越えると、
たとえ大統領といえども引き戻すことはできない。
ここのポイントを越えたら「一切の命令を聞かず当初の目標を爆撃せよ」
と固く決められて
いるのだ。それはたとえ大統領の命令であってもだ。
それらが敵の工作の可能性もあるからだ。
すぐさまこの緊急事態は国防総省ペンタゴンとホワイトハウスに報告された。
ペンタゴンではスウェンソン国防長官を中心に、政治学者の
グレテシュール(ウォルター・マッンー)、ブラック将軍らが協議する。
グレテシュールは「この際ソ連を徹底的に叩くべきだ。たとえソ連の
反撃をうけてもまだアメリカには生存者がいるのだから」と主張。
ブラックは、全世界的殺栽は防がなくてはならないと反論する。
大統領はホットラインを通じてソ連首相に「領空侵犯は間違いであり、
こちらではどうすることもできないので、ソ連側で射ち落してくれ」と頼む。
ソ連空軍は了承し、グレーディ隊機の識別暗号コードを教えるようにオマハ空軍司令部に
依頼した。担当指揮官であるカシオ大佐は無線マイクを握るもどうしてもそれを
しゃべる事ができない。
宿敵ソ連に最高軍事機密をどうしても明かす事ができなかったのだ。
ついにはカシオ大佐が反応して暴れだし、MPにとり押えられた。
グレーディ編隊機のうち4機は撃墜されたが、グレーディ機だけは攻撃を
かわしてモスクワに到達。
そして遂にモスクワ上空で核爆弾が爆発する。
こうなればソ連の報復は火を見るよりも明らかだ。
大統領は米ソ両国の全面戦争を回避するために遂に決断に踏み切った。
アメリカ空軍によるニューヨークの核爆破を命じたのだった。
ショッキングなシーンを話そうか。
いよいよアメリカの爆撃機がモスクワ上空に到達しようとする時、
モスクワのアメリカ大使館の屋上から大使が電話機を握りながら
空の様子を報告するところだ。
大統領は知っていた。核攻撃を受けると最後に聞こえるのは
電話機が核の熱で溶ける時に金属の高い音が聞こえる事を。
「爆音が聞こえています。あ、今西の空が明るく輝きました。」っと言った途端
「キイーン」っと悲鳴みたいな金属音が長く長く聞こえ電話は切れた。
まさにモスクワに核攻撃され、そして電話機が核攻撃の熱で解けた瞬間だった。
電話をしていた大使は一瞬で蒸発してしまったのだ。
ただの音だけだが核攻撃の描写をしている。
このシーンの迫力と恐ろしさには身がすくむ。
この作品のすごいところはジワジワ迫り来る恐怖なのだ。
アメリカはアメリカ側のミスでモスクワを核攻撃してしまうのだが
このままではソ連の報復によってアメリカも核攻撃を受けるのは必然だ。
そうなればアメリカはさらに報復をし遂には
世界を巻き込んだ全面核戦争となり生命は滅亡すらしてしまう。
そのような事態を避けるために下したアメリカ大統領の決断。
それはソ連が報復を思いとどまってもらう代わりに
アメリカが自らの手でアメリカの大都市を一つ破壊する事だった。
大統領が言う「書記長、アメリカの都市を一つお選びください。そこに我々が自分で
水爆を投下します」
書記長が選んだ都市、それはニューヨークだった。
そこには大統領夫人がちょうど訪れていたのだった。
しかし大統領は空軍の爆撃機にニューヨークに水爆を投下するように
命令を下した。
そして警報すらも発令されることもなく水爆は遂に投下された。
この決断俺は実に考えさせられた。
大統領や軍隊は国民の生命と財産を守るためにあるのだ。
その核兵器を自らの国民を殺すために向けるとは考えられない手段だ。
この作品をはじめて観てからかなり経つがが、
何度観ても自分ならどうするか回答が違ってくるのだ。
「合衆国大統領」が
「自分の意志」で
「ニューヨーク」に
「水爆を投下」するのだ。
大統領がソ連書記長と電話で通訳を通して話すところは
部屋と大統領と通訳と電話の声だけなのだがこれだけの
ドラマを演出できるシドニー・ルメットはさすがだ。
正に人間の心の葛藤だけでこんな映画を作ってしまうのだ。
彼のデビューはなんとあの「12人の怒れる男たち」だ。
裁判所の陪審院の会議のシーンで延々人間の心の動きを
描いている名作だ。なんて男なんだ。
アル・パチーノの「狼たちの午後」もどこか憎めない
銀行に人質を取って篭城する強盗を描いた名作だ。
アメリカ空軍幹部がソ連空軍幹部と相手の写真を見ながら
電話で話すシーンが実にいい。
今は冷戦の敵味方だが第二次大戦時中、
二人が駐留していたロンドンの思い出話をしながら
心を通わせるあたりは、たまたま戦後敵味方に分かれてしまった二人の
友情が芽生えながらそれぞれの立場がその友情を許さない
人間の悲劇の一瞬を切り取ってくる。
緊急対策会議がまた実に面白い。
「この攻撃を機会にソ連を叩くべきだ!」というタカ派の政治学者を
ウォルター・マッソーが演じている。
実に個性があふれる優しい人間味を表現している彼が
今回は普段とは違った理論派の狂気が迫力をかもしだしまるで別人の様だ。
アメリカ側がグレーディ隊機の撃墜をソ連に依頼するにあたり識別コードを
ソ連に明かさなければならない。
担当のカシオ大佐は自分が宿敵ソ連にそれを話す事により友軍が撃墜されて
しまう。そのマイクを持って悲鳴の様な声を上げて心が葛藤する様子は
素晴らしいシーンだ。結局は話す事ができず暴れ出してしまう。
またグレーディ隊が次々ソ連空軍に依って撃墜されていくのをモニターで
見ている司令部のスタッフは一体どんな気持ちだったろう。
飛行機を示すモニターの点がひとつやがてまたひとつ消えてゆくのだ。
その瞬間、遥か彼方で友軍の命が失われているのだ。
軍備と軍備のせめぎあいのほんの一瞬の均等がとれている状態を
平和と呼ぶのだろうか。
「平和」とは戦争と戦争の「つかの間の休息」を言うのだろうか。
君が大統領ならどうするか考えながら観てほしい。
そして俺に教えてくれないか。
人間生涯でこんな苦渋の断腸の思いの選択を余儀なくされる場面がある。
しかしこんなスケールで対面させられる大統領の気持ちについては
10年ごとに俺の考えは変化しているのに気付いた。
これによく似た映画としてスタンリー・キューブリックの
「博士の異常な愛情」がよく引き合いに出される。
しかしはっきり言ってこれは駄作中の駄作。
場面は部屋三つくらいの超低予算の映画だが観客のイメージする
世界は地球レベルに拡がる。
お金を使わなくてもこんな凄い作品を作れるシドニー・ルメット監督には
尊敬の念を抱かざるを得ない。
そしてこの映画、音楽が一切無いのだ。
絶対観てな!