日本では割と知名度はないがかつてアメリカで一番有名な日本人はといえば
必ずロッキー青木さんの名前があがった。
レストラン王 ロッキー青木さんである。モデルのデボン青木の父親でもある。
大学時代、レスリングの日本代表団として渡米したロッキーさんは大会に優勝した後、
アメリカという国に感激した彼は自分だけアメリカに残る事にした。
レストランの皿洗いと駐車場で働きながらこつこつと資金を貯めていった。
やがてアイスクリームの屋台の車を借りる事ができた。しかしマンハッタンはすでに
アイスクリーム屋台は過当競争でどこにも彼の出店できるスペースはない。
彼が目をつけた地域があった。ハーレムである。当時は今よりもさらに治安が悪く
どの屋台も近づく事はしなかった地域だ。
彼は日本から小さな紙でできた番傘と日本の童謡のレコードを取り寄せ、傘をアイスにたて
客寄せにスピーカーで日本の童謡をかけて黒人の子供の気を引くことに成功しかなりの
売上を立てる事ができた。
毎日の売上を毎日銀行へ預けこつこつと貯めた資金で次なる野望、レストランの開店に向かっていた。夜はNYU(ニューヨーク大学)のレストラン科で学んだ。
その勤勉な姿に感動した銀行が融資をしていよいよレストランを立ち上げることになった。
アメリカ人の好きな食べ物ランキングのBEST3はビーフ, チキン、海老。ならばそれを全部やろうとした。それまでのレストランは厨房で調理したものをお客のテーブルに運ぶのが
あたりまえ。それを鉄板焼としてお客の目の前で調理する。
それも道具を西部劇のガンマンのように全部ベルトにさし、包丁をくるくる回す調理ショーにする。内装は日本の解体した合唱造りの古い家を解体して組み立てる。
このスタイルがアメリカで大ヒット。やがて全米126店舗を数える大チェーンになり
大富豪になった。正にアメリカンドリームを地で行く男だった。