国際電話事業の交換機の選定、設置、電話会社とのT1回線契約、値段設定は終わった。
でもこれでまだこの事業の半分だ。
顧客獲得のマーケティングと請求方法と売上回収方法が必要だった。
交換機の機能として要求されるのは電話がただ繋がればいいというものではない。
どの客が何日の何時何分にどこの国のどの番号に何分かけて分あたり幾らで
かけた通話を合計すると幾ら。
それをどう請求しますという書面をひとりあたり数十件から数百件の通話、それが数千人。
合計の通話案件は合計で20万件を一ケ月で越える事もあった。
今思うと怖かったのはスタート時に持っていた俺の交換機は実にバックアップのサーバーを
持っていなかったこと。もし何かの事故があっても補助のシステムが稼動しないばかりか
1ケ月分の約20万件の請求データがすっ飛んでしまったら明細のない請求など
客に一切できない。いっぱつで事業は終わりになるってことだ。
さらに初期にはニューヨークのオフィスで請求書をプリントアウトしでっかいダンボールに詰め東京へ郵送して東京オフィスで顧客ごとの封筒に入れ送付する方法。
それもニューヨークでは交換機の打ち出したデータとスプリント社が送ってきたやはりダンボールに詰まった請求明細書との照らし合わせをする。全部の通話をいちいちチェックは到底無理なので抜き打ちにやる。
とにかく膨大な人的作業量なので今後売上が伸びたら大変な事になると思った。
金を使えばどんな事でも解決はできる。しかし金の無い自分は頭を使わなければならない。
スプリント社に依頼して通話明細データをCDでもらう事にした。
さらに通話時間のチェックを自分の交換機のデータと即座にできるプログラムを組ませた。
さらにニューヨークオフィスから東京オフィスに毎月送っていた航空便のダンボール箱のやり方を変える必要があった。当時はインターネットなどなくコンピューサーブという会社の
Eメールがやっとできた時代。膨大な請求データをメールで送る事があることを知った。
しかしデータが重過ぎて送るのに丸一日かかってしまう。困った。
さらに調べるとデータを送る前にNYで圧縮し、東京で解凍する方法がある事がわかった。
さらにそのデータが社外に洩れるのを防ぐために特別なICチップが入ったハブを通さないと
データがダウンロードできないように東京でセッティングした。
ハブは宅急便で東京に送った。
丸三日寝食忘れてNYと東京で調整しあいやっとうまくいった。データが読めた!
信じられない事だった。当時はどこの誰もインターネットさえこの世で知るものは
ほとんどいなかった時代だ。
よく聞かれた「インターネットて何?」
アメリカはまさにハイテク王国、未来の国だった。
受信後すぐにプリントアウトできる。請求がすぐに起こせる。各段に仕事がスムーズになった。