6歳年下の従兄弟の祐介を
デンバーから呼んだ。彼は高校は進学校に進み大学へ進むも
平穏な毎日に嫌気がさし大学を中退し俺を訪ねてきた。
エリート揃いの一族にあって俺と同じくアウトローの道を俺の後を
進みたいようだった。
彼に米軍の基地で働いてみないかと勧めた。そして海兵隊の
厚木キャンプのクラブで働く事になった。
海兵隊とは言わば上陸部隊であり体が190cm近くあり体重100kgの
の野獣のような連中たちだ。
ドリンクが遅いとグラスを壁に叩きつけて怒る。
そんなやつらを相手に腕っ節と英語を鍛えていった。
いつかアメリカで働きたいと思っていたあるときロスの会社に勤める話があった。
喜び勇んで二つ返事で全てを片付け渡米した祐介を待っていた仕事は
スーパーの売り場の厨房で寿司飯を作る肉体労働だった。
住居は治安最悪のベニスビーチで大勢が大広間で寝起きする
ホームレスに毛が生えた程度のドヤだ。
入ったその日にカメラと時計を盗まれた。
朝早くから遅くまで働く日々が続いた。
ある日支払いの遅れてる家賃の事でそこの大家の事務所に呼ばれた。
大家は引き出しから出した拳銃を椅子に座った祐介の目と目の間の額に当てて
「家賃を払え、それかいますぐ出て行け」と言われた。
初めての経験だった。
ある日祐介がある奴をぶっ飛ばした。すると相手は大勢の仲間を引き連れ祐介を
袋叩きにするべく祐介を追跡してきた。
遂にはコンビニの電話で警察に保護を求めた。まじで命が危なかったらしい。
結局危険があるため住居に荷物も取りに行けず着のみ着のままで
デンバーに向かう事にした。
そこで日本食レストランのコックを勤め空手道場に通う事になる。
そんなある日俺が祐介をブルーカラーの世界からホワイトカラーの世界に
引っ張ってやりたかった。彼にはガッツと才能と強靭な肉体があったからだ。
スーツを着てアタッシュケースを持った姿を
彼とは人材紹介業を合流して手伝ってもらう事にした。だが彼は違法滞在であったので
もう一度日本のアメリカ大使館に労働ビザを申請する必要があったのですぐに
帰国させてしばらく滞在した。そしてその後NYで合流する事になる。
これで堅い一族の渡嘉敷家のはみ出し者が揃った事になる。
祐介は国際電話業立ち上げには直接関わる事はなかったが人材業には
俺が外に出ている間、オフィスをがっちり守ってくれた。
彼は大きな力になってくれた。