この国へやって来た人間はまず必ず凄まじい洗礼を受ける。
とにかく二週間ぐらい腹を壊しどうしに壊すのだ。
そして食べ物が口に合わないのだ。イスラム教なので牛がOKで豚がNG。
でもそんなのが口に入るのは外国人だけで現地人は豆をペースト状に練ったもの
だ。チャパティという薄い薄いお好み焼みたいのもよく食べる。
食べ物の全てにカレーの香辛料が入っている。
そしてそれらが日本で言ういたんだ状態が多い。そんなにおいがするのだ。
でも現地の人にとっては両手一杯分の食料でもなんと一週間それで食べていくと
言う。
現地労働者のバラックへ遊びに行った事がある。そしたら外国人が捨てた
缶詰の空き缶を山ほど部屋に持って帰っているのだ。
それを奥さんと子供で指で缶の内側をなぞって舐めるのだ。
やせ衰えた3歳くらいの男の子に指についた僅かの食べ物を唇に
与えているのだ。
俺は愕然とした。こんな人間達がいるのかと思った。
これでもまだ建設現場で働ける人間は幸福なんだ。
やがて俺もあれだけいやだった現地の食事がだんだん楽しみになり
うまく感じてきた。ある日缶詰を彼らの家族に持っていってやった事があった。
それはもう飛び上がらんばかりの喜びようだった。
次の日、ゼネコンの日本人の技術者に言われた。なぜそんな事をした。
彼らとは身分が違うって事を思う知らさなければだめなんだと叱責された。
俺はこいつをぶっ飛ばしたい衝動に駆られた。
でも一時的にそいつらだけに食料を俺が秘密で食料倉庫からくすねて分けて
やっても俺にできるのはこんな事なのかと悔しい。
あの頃日本では24時間テレビをやっていて募金をテレビで募っていた。
テーマは「寝たきり老人に御風呂を」だった。
確かに風呂も分かるが目の前のこの現実をなんとかしなくてはと
思った。
俺は目の前のボランティアよりもビジネスで成功しその資金とノウハウを
こんな国に持って俺なりの力になりたいと心に決めた。