密林を切り開きアグリカルチャーリサーチセンター建設が
俺がバングラディシュで働いた場所だった。
機材の搬入や建設材料の通関と運搬と従業員の
食料と飲料水の確保が役目だ。
とくにやっかいなのが思い飲料水を井戸から運ぶのが事だった。
それによくこの井戸が枯れるし水はいつも濁っている。
そこでついに前々から計画を実行に移す事にした。
給水塔を建てる事にしたのだ。雨の時に水を蓄え常時水が
飲めるようにするのが目的だ。
まだ図面は素人だったが幸いドラフターがあったので見よう見真似で
設計図を引いてみた。
そして何度も何度も引きなおして技術者の意見も聞いて図面を完成させた。
一番上の給水槽は横が48角形になった。高さは約15m。
足組みは6本にした。モルタルで土台はがっちり固める。
クレーンなど無い。だから骨組みは全て大勢の人力だ。
ロープをかけて大勢で引っ張って足を起き上がらせるのだ。
ひとつのロープを30人くらいで引くんだ。ベンガル語で掛け声かけている。
高い所から見渡すとまるでピラミッドを作っているような光景だ。
あるときロープが突然切れた。大勢が一斉に後ろにもんどりかえった。
すると柱は反対側に倒れ手で支えていて逃げ送れた一人の男の手の平に
柱が倒れ込んで手を潰してしまったのだ。
凄まじい悲鳴が上がった。皆がかけよった。
切断はされていないが手が平たく潰れている。実は怪我は潰れた傷は
直りにくいらしいのは聞いていた。
救急車などこの国には無い。すぐにジープで病院へ運ばせた。
それでも片道1時間はかかる。それもバラックの病院だ。
家族に連絡に走らせた。実に気の毒な事をした。
直ってくれひたすらそれを願った。
その事故で全ての安全基準を見直した。俺は親父が常々安全を口がすっぱくなるくらい
繰り返していたのを思いだした。
あの頃はうるさい親父だなと思っていたが事故が起こると初めて親父の言っていた言葉が
心に刺さった。
彼と彼の家族に詫びても詫びても足らないくらいだった。
そして工事は再開した。やがてりっぱな給水塔が完成した。
その給水塔の水を早くとにかく早く飲んでみたかった。
雨季には夕方必ず凄まじい雨が降る。1m先も見えない位の雨だ。
やがて槽の横の水位を表示する目盛りがぐんぐん上がってきた。
槽は満タンになった。洩れは多少あるものの修理はパテで効く。
やがて雨は止んだ。その水を飲んで見た。透明なすけるような水だ。
こんな水はここでは宝石にも等しい。
その水を水筒につめ手を怪我した彼の家に届けた。家族に飲んでもらいたかったのだ。
奥さんや家族は手を合わせて感謝してくれた。
もうこれで水に苦労する事はない。
この塔は当時ダッカで一番高い建物だと言われた事があった。(真意は定かでない)
その後、その塔には俺の名前が付いたって聞いたけど
あの塔、まだ残っているだろうかなあ。