20代打ち込んだのは船だった。一級船舶免許を目指し勉強を開始した。
学科は麹町の海事センターで受け、実技は横浜で20トンの船で
ブリッジで船員に指示を出しながら船を運航する教練を受ける。
ロマンロラン方位探知機、レーダー、無線機、海図、測量、六分儀などの
操作と船員を指揮しての離岸、着岸、人命救助を徹底して鍛えられる。
学科と実技の試験に合格してはれて船長になれた。
船はモーターボートかヨットクルーザーにするか迷ったが、
ヨットは転覆してもバラストが船底についていてすぐに起き上がる
事ができるのに対し、モーターボートは転覆すれば終わりだし
とにかくガソリンを嘘のように飲み込むのでやめにした。
ヨットは港の出入りだけは小さなエンジンだが外にでれば
帆を出して無料の風で走れる。それに水を切る音と風の音だけが
聞こえるのがいい。さらにヒールといって船体が風を受けて斜めになって
走る姿が美しい。
ヨットのポスターは多くあれどモーターボートのポスターはない。
ヨットの方が絵になるし、モーターボートはやくざでもいっぱいやってるからな。
25フィートのヨットクルーザーを手に入れた。立って入れるキャビン付きで
トイレと寝室も簡単なギャレーもある。テントよりははるかに快適だし
ここで生活もできる。
船の名前は「PIG NASTY」にした。この名前を外人に言うと皆大笑いするんだ。
まああんまりいい意味じゃないのは分かっていたんだけどシャレだった。
大学の後輩でヨット部の国体選手がいたので彼の特訓を受けた。
帆の扱い、バテンの入れ方、帆の張り方、風の読み方、ブームの取り付け、
ヨットのターボエンジンと言われるスピンネーカーなどの操作を覚えた。
週末は必ず出航し平日は船に寝泊りしていた。船からオフォスまでバイクで
通勤していた。
寒くない日は甲板に帆にくるまって星空を見ながら寝た事もあった。
エンジンは当時俺が担当していたYAHAMAから無料で新品を分けてもらった。
風は凪だと全く海面が鏡のようになって一切すすまない。ヨットはアウトだ。
風速6~10mが快適な風だ。それ以上になると波が高くうねって波の先が
白く崩れてくる。これが危険信号だ。
ヨットの世界ではヘビーウェザーセーリングというのがあって、
台風が近づくとわざと台風に向かって船を走らせるスポーツがあるんだ。
これは命がけだよ。
俺は一度台風の接近する直前の海に仲間と乗り出した事があった。
そして俺は一発で後悔したね。ビルの高さもあるような波が次々と襲ってくるんだ。
こんなとき一番怖いのは横波を食らって転覆することなんだ。
だから船体が常に風に向くようにバウ(舳先)からシーアンカー(海に流す錘)を
流す。そうすれば大波を正面から受ける事はあっても横からは食らわない。
ライフジャケットを完全装着しライフライン(命綱)を船体にかける。
帆は完全に降ろしている。波を食らう度一瞬自分が真っ白な世界に
行く。海上でライフジャケットで漂っていても秋で3時間、冬で20分で絶命する。
今落水したら相方に助けてもらうのはほとんど不可能。
だから落水即「死」なのだ。
無線でSOSを発信すべきだったがこんな事で海上保安庁に迷惑をかけたく
なかった。
クルーは俺を入れて4人だった。
突然回って来たブームが身体にあたって一人が落水してしまった。
瞬間すぐにロープを投げた。この場合一人は絶対何もしないで目を離してはだめなんだ。
何もしなくていい。ロープを落水した奴がつかんだ。やった。たどり寄せているとき
船が波を受け傾いた。なんともう一人落水したのだ。二次災害だ。
しかし落ちた地点が船のすぐそばだったのですぐに手が届いた。
すぐに引き上げよとした。これぐらいの体格の男なら俺の片腕で大丈夫だと
たかを括っていたらなんと掴んだ身体が滑るのだ。
なんと朝方晴れていたのでサンオイルを塗っていたんだ。
でもなんとかジャケットを掴みひっぱりあげた。先に落水したもうひとりも
ロープを手繰り寄せひっぱりあげた。
疲労困憊だった。すぐにでも港に引き返したかったのだが
こんな天気の時は岸に近づくとコントロールが効かないで岸壁に
激突して木っ端微塵なので嵐が止むのを待つ。
エンジンをかけようとしたがかからない。
点検してみるとプラグが被っている。
カバーをはずしプラグを抜いてプラグの先を
ライターで焼く。しかし大揺れの船の中でネジをはずし
エンジンを分解して作業するのはほんとに大変だった。
手は寒さで悴んでいる。でも「この瞬間をいい思い出にしてやるぜ」
と言い聞かせ頑張った。
正に戦場の気分だった。
いつもなら10分でできる作業が40分もかかって終わって試してみると
エンジンは何度かうなり声を上げたあとかかった。
皆はもう船酔いでゲーゲー吐いている。
風速が8m位になったころあいをみて港に接近する。
入江になかなか近づかなかった。そして防波堤に入ったら波はぴたりと収まった。
埠頭について地上に上がったとき、生きている事に感謝した。
地面に頬ずりした。声をあげて叫んだ。
懐かしい思い出だ。
浦安ヨットハーバーはちなみに俺達当時のヨット仲間が浦安市に運動して
設立にこぎつけたんだ。織田裕二、原田知世主演の映画「彼女が水着に着替えたら」は
ここで撮影されたんだ。
また近いうちにヨットクルーザーを始めたい。
ジブセールをたたんでスピンネーカーを出して帆走している。
ヒールしている状態 これが最高