画家の山川茂先生との出会いは先生の奥さんと偶然知り合ったのが
最初のきっかけだった。
ある五月の週末、パリのクリニアンクールの美術人形専門店で
ジュモーの人形を見ていた。一体40万円はくだらないアンティーク人形だ。
頭部は瀬戸物の焼き物だ。作家のジュモーのサイン入りだ。
俺が店員と話していた時、同じく店に偶然きていた日本人の
シャキシャキしたご夫人が俺に話し掛けてくれていろいろ知識をくれた。
その知識たるやすごいものだった。フランス語は完璧に話してる。
そしてカフェでコーヒーを飲みながらそしてフランスやパリの事。
美術品やアンティークの知識を教えてもらった。
その時、偶然アメリカ人の観光客が「停めていたレンタカーが盗まれてしまった。
どうしたらいいんだろう」って英語で俺たちに話してきた。
一緒に近くの警察署に行ってあげた。そしたら警察でぜんぜん英語が通じない。
おくさんはフランス語と日本語ができる。おれがなんとか英語と日本語。
アメリカ人から英語で俺、俺から奥さんに日本語、奥さんから警察がフランス語という
言葉のリレーをしてなんとか意思疎通をはかる。
調べたら駐車違反でレッカー移動されたとのことだった。
そう、俺も実は最初の頃はレッカーはしょっちゅうされて大変だった。
そんなこんなで今度おうちに招待していただいた。
日曜日にマンションにお邪魔したとき初めて山川茂画伯にお目にかかる事ができた。
アトリエで絵の具だらけのお年の方は髪と髭の白い様子からしてすでに70くらいに見えたが
ジーンズを履き裸の上半身はまるでスポーツ選手のようにしなやかでありながら
筋骨隆々なのだ。
食事をご馳走になりながらすっかり打ち解けてしまった。また山川先生の所には
若い駆け出しの画家が多く集まってきていて一緒に食事をしたりした。
その後、週末になるとたまに遊びに寄らせていただいたんだ。
この山川先生、話せば話すほど凄い男だった。
子供の時からプロの画家になるのが夢だった.
横浜の倉庫会社に就職した。
そしてがむしゃらに仕事に打ち込んだ。
でも趣味で続けていた油絵はずっと続けていた。とにかく仕事以外は絵を描いていたらしい。
パリに住んで絵を描いている昔の仲間から手紙が届いていた。
「今度パリ市の方針でチムニー(煙突)からでる煙で汚れた建物を全てクリーニングするらしい」とあった。
煙で鉛色に汚れたパリの街は息を飲むほど美しい。そのパリの鉛色が無くなってしまう。
パリを描きたい。とにかく無くなる前に描きたい。
心は遠くパリの空へ飛んでいた。
やがて部長になって年は定年近くになっていた先生にある日社長から呼ばれた。
「重役になって欲しい」とういうものだった。社会的地位も上がる、収入も上がる。
この上ない話ではある。でもどこか心の底から何かがこみ上げてくる。
そして社長は続けた。「但し条件がある。今の趣味の絵をやめて仕事に打ち込んで
もらいたいのだ」
先生は時間をもらい考える事にした。
でも心のどこかで「お前の人生これでいいのか。パリで画家になる夢を永遠に諦めるのか」
ともう一人の自分が問い掛けてくる。
悩んで悩んだ末、先生はなんと会社に辞表を出した。
仰天した会社は必死に引き止めたが彼の決心は固かった。
そして先生は辞表を出してしまったのだ。
先生は一切の退職金を渡し家を飛び出してしまった。
先生の唯一の財産は送別会で皆からプレゼントされた折り畳み自転車だった。
全てを清算しパリへ向かった。
そして遂にドゴール空港に降り立ったのだ。
そして自転車を組み立てフリーウェイをドゴール空港からパリまで走った。
本来は自転車の走行は禁止されている道路だった。
パリに到着し友人のアパートを訪ねた。その友人はもしパリ来るなら俺の所に
住まわせてやるからいつでも来いと言ってくれていたので
先生は本気にして訪ねる事にした。
しかしその友人はまさかほんとにパリに来ると思わなかったので
丁重に断られてしまった。
さあ、困った。住むところもお金も無い。大変だ!
考えた末にある事を実行した。
背中に「住み込みのハウスボーイをします。声をかけてください。一生懸命
働きます」とフランス語で書いてもらって背中に貼りパリの街をゆっくり
走り周った。
そしてなんと二週間ほどしたある日、一人のマダムが呼び止めて屋根裏部屋で
の住み込みで雇ってくれる事になった。
そこで住み込みの家事をしながら居場所はまがりなりにも確保できた。
あれだけ夢にまで見たパリでの生活が始まったのだ。
全てを引き換えにしても。
念願の絵を描きまくった。煙突の煤煙で鉛色に輝く美しいパリを。
涙が何度もキャンパスに落ちた。
そしてコンクールに入選し、画商が付き、山川先生の絵のファンが拡がり
日本の西部デパートで定期的に個展を開く事になった。
数年後、パリの日本人画家で3本の指に入るほどの画家になった。
やがて今の二番目の画家の奥さんとパリで出会い再婚した。
二人はすこぶる仲がよく、どこに行くにも一緒だ。
パリから車でスイス、スペイン、ポルトガル、イタリア、トルコ、パキスタンから
インドまで車で旅をする。
二人で絵を描きながら1年かけて旅をしたりする。
こんな素晴らしい夫婦もいるんだなってとっても羨ましかった。
山川先生の人間、人生、人柄、生きる姿、生き様、全てがドラマティックで感動だ。
俺が海外で出会った尊敬する男たちの仲の数少ない男の一人だ。
「いい年をして」とか「そんな年じゃない」とか日本人はすぐ言うだろう。
老化とはある一定の線引きの年齢を言うのではない。
夢を諦めた瞬間に老化は始まるんだ。
PS 先生の運転は高速をいつも200キロですっ飛ばし、
車間距離も全然とらないのでけっこうなスリル。